レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -368ページ目

考え問い続けるということ

・・・コメントにかえて・・・

前回の記事では沢山の励ましやご経験のお言葉を頂き、

本当に有難うございました。

こうしてお会いした事のない方々から、

温かい気持ちを頂ける不思議な世界。

ブログを続けていて良かったと

目を潤ませながら感謝しています。

人というのは多くの人の心に助けられ、

前向きに生きていく事が出来るんだとつくづく思いました。

驕らず、感謝の気持ちを持って日々を過ごさなければと思います。

父よ、僕はあなたのように胆も据わっていないし、強くもない。

だけど、あなたの透き通るような優しさは引き継がねばと思う。

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今、一冊の本を鞄に入れている。お気に入りの一冊。

池田晶子著『事象そのものへ!』1991年発行。

帯には「天才の登場を鮮烈に告げた記念碑的作品」とある。

池田晶子・・・『14歳からの哲学』の著者と言えば、お分かりだろうか。

冒頭の「哲学への開放」の中に何度も何度も繰り返し読んだ箇所がある。

それについて、僕は僕なりに問い続けている。



〈抜粋〉

たとえば私たちは言ってきたではないか。

「あの人は死んだけれども、私のこころのなかで、いつまでも生きている」と。

素直に、あるいは、最後に手に入れた結晶のような想いとして。

そして、既にない人に向けて、ことばを紡ぎ続けるではないか。

私たちの、こころの形式は、いったい何なのだろう。

もしも宗教が、ただ、「阿片」であり、「偽善」であり、「超越的」であるだけだったら、

なぜ二千年ものあいだ、人類のこころを捉えていることができただろう。

なぜ私たちの感受性は、あのような繊細さ、

あのような高みにまで至ることができただろう。

 私たち生まれてきたものは、死ぬまでは生きていくしかないのだろう。

先に死にゆくものたちを、こころの隅で見送りながら。

ただそれだけの事実の、何がいったい、

こんなにも悩ましく私たちのこころを追い詰めるのか。・・・



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哲学は構築されるものではない。

感受したものを問うことだ。

夢をみるように問い続けてゆくことだ。と著者はいう。

直線で結べば早いものを、迷路のような道をたどり論じる哲学。

難しい事を難しい言葉で表現するのは容易い。

わたくしはまっとうな事をまっとうな言葉でまっすぐに語りたい、と。

読み進むにつれ、考え抜かれた言葉が

この本を埋め尽くしている事が分かる。

そして、その文章はとても美しい。

正確にはその文章は僕にとって、とても美しく感じられる。

僕を惹きつけて止まない哲学者・・・いや、文筆家。池田晶子。


はてさて、これから先、僕は何を考え何を掴んでいくのだろう。