レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -209ページ目

祈りを込めて

1995/1/17阪神・・・あまり、思い出したくないが、

僕にとって人生観が大きく変わった日である。

幾度かブログに書いているが、

自宅の基礎は一部が割れ、部屋には物品が散乱していた。

職場であった新刊書店は、自宅から10分程の親会社のビル2-4階にあった。

4階の状態は余りにも酷く、復旧を諦めた。

2,3階は通路が本の海となり、膝まで埋め尽くされており、

その上に本棚が倒れかかっている所もあった。

ショーケースや棚に使用していたガラスは砕け散っていた。

アンティーク品も商品としての価値を持たないくらい、破損していた。

当時、僕はその吹けば飛ぶようなちっぽけな店の運営を任せられていた。

はしょるが、間もなく親会社はその書店を投げ出し、僕はその後を引き継ぐ事になった。

今にして思えば役員の判断内容は、ごく当たり前のものだったし、

僕を含む社員を親会社に呼び寄せようとさえしてくれた。

親会社はある業界では、優れた業績を持っており、今も健在だ。

移籍していれば、つまらない愚痴をこぼしながらでも、定年まで何事もなく過ごせただろう。

だけど、僕は本に触れない業界にいる自分が想像できなかった。

僕がその書店に長く在籍したのは、本好きという事の他に、

殆ど誰からの口出しも受けなかったという理由もある。

つまり、好き放題させてもらっていた。

移籍すれば、そんな訳にもいくまい。

すぐに、僕は反逆児の名を貰うだろう。最初に職を得た会社のように。


この震災で、「やりたい事はすぐに取りかからないと後悔する」と、気がついた。

雨風がしのげ、三度の食事にありつける事がどんなに贅沢な事かにも気付いた。

身近な人たちの無事だけでも知りたいと願ったが、そんなに都合よく奇跡は起きなかった。

ぶつけようのない憤りと悲しさが心を埋め尽くした。

それでも人は我が命が尽きるまで生きていかなくちゃならない。



書き出すときりがない・・・


 
まあそんな事で、僕は後先を考えずに独立をしてしまった。

人間、こんな青天の霹靂のような事を経験しないと、

人の温かさに気づかないのかも知れない。

少なくとも僕は本当に大切なものに気づかないまま生きていただろう。

人、物、金、それぞれの役割があり、何れも大切だ。

それも震災に遭いよく分かった。

 

店が短期間で営業を再開できたのは、知人や業界関係者の力添えによるものだった。



特に意識している訳ではないが、今年、1/17は早朝に目が覚めた。

そして、薄暗い部屋のソファーに座り、志半ばにして散った人達を思い、

気持ちを新たに頑張ろうと思った。