レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -142ページ目

成穂堂、感傷に浸る

久しぶりに大学時代の友人から連絡があった。

僕は学生時代、都市部の大型書店でアルバイトをしていた。

彼女はその書店でのバイト仲間で、未だに付き合いが続いている。

所属する課は違ったが、いつの頃からか、彼女とよく話をするようになった。

何がきっかけだったのか、今はもう思い出せない。

そんな彼女からの連絡は、大学時代にため込んだ本を整理したいというものだった。

送られてきた写真には文学全集やら国文学雑誌やらかなりの量の本が写っていた。

そんな写真を見ているだけで、当時の思い出が波のように押し寄せては遠ざかっていく。

目を閉じると、あの時代の大学やバイト先の騒めきさえ聞こえてくる。

思い起こすに、当時の学舎というのは、今のようにデザイン性が高く美しいものではなく、

良く言えばどこを切り取っても歴史を感じる佇まいだった。

ついでながらに、地方から出てきた友達のアパートなどは、今にも崩れ落ちそうな建物だった。

従弟の下宿も懐かしく思い起こされる。

奇しくも従弟と僕は同じ大学だった。

従弟の下宿は急斜面に建てられた二階建ての古い建物だったが、いつも小綺麗に掃除されていた。

従弟の部屋には南向きに窓があり、心地よい風が緑の匂いを運んでいた。

部屋は六畳一部屋に押入れを改造したような不思議な造作がたされていた。

つまり、押入れのような造作部分は二段ベッドとして使えるようになっていた。

従弟の親が、僕の定宿になるだろうと、そのような部屋を選んだようだ。

当時、その下宿は○大下宿と大学名で呼ばれていた。

共同浴場と自炊用の食堂がある大学生限定の下宿だった。

勿論、洗面、トイレ、洗濯場も共同だ。

当時、30名程が寄宿した大所帯だったと思う。

大学と下宿に挟まれた斜面には鬱蒼と竹林が広がっていたのを覚えている。

昼夜を問わず、学生が出入りし賑やかなものだった。

そんな下宿に誰彼となく集まっては、取り留めのない事を朝まで語り合ったものだ。

同じ敷地内に大家さんの住まいがあったが、

大家さんは下宿生たちの世話で、文字通り走り回っていた。

大家さんは世話好きな人で、それこそみんなのお母さん代わりだった。

大学へは鎖の掛けられた裏門を乗り越えるのが一番近道だった。

警備員がいる訳でもなく、下宿の連中はみなそのようにして大学に通ったものだった。

実にざっくりとした時代だった。

みな心ざわめくような、希望と不安が入り混じる毎日だったのではないだろうか。

あの頃、僕たちは何処に行こうとしていたのだろう?

もう一度、あの頃に戻る事が出来たら、一体、僕は何をやり直すのだろう?

目に映る空の青さをどう感じるのだろう?

移ろう季節に何を感じるのだろう?

仲間と過ごしたその刹那を限りなく愛おしく思うのだろうか?

小説の中の主人公なら、 

沈鬱な表情で「一体、僕は何処へ行けば良いのだろう?みんな何処へ行ってしまったんだ」

と、流れゆく雲に問い掛けるのだろう。

どんなに歳月が流れても、僕はあの青臭くほろ苦い時代から抜け出せないままでいる。

多かれ少なかれ、みなそうなのだろうか?

話を戻そう。

僕は彼女に「その本、うちで預かる。送るか?」と、聞いた。

彼女は、息子の運転でこちらまで来ると。

「遠いぞ」と言うと、「構わない」と。

そして、彼女が「悲しすぎるくらい早いね。時が経つのって」と言う。

僕は頷いた。

「kenしゃん、聞いてる?」

kenしゃんか。懐かしい響きだ。

「聞いてるよ」と。

「電話の向こうで頷いてたって分からないよ。昔から変わらないね」

僕は頷いた。

彼女は笑いながら「じゃ、また今度」と、言って電話を切った。

電話を切った後「息子の予定にあわさないといけないから、行くのは少し先になりそう」とLINEが入った。

ちょっとした連絡はLINEか。こじゃれた時代だ。

僕たちがバカをしたのは二十歳過ぎ。

お互い子供たちが既にその年齢を超えている。

なんて事だ、と思う。

本当に時が流れたんだなあ〜

戸惑うよなあ・・・