生きる | レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々

生きる

駅前一等地の大通りに背を向けて建つ

小さく古めかしいビルがある。

所有者は僕の知人。同ビルで学習塾を営んでいる。

元々、表通りから一歩入った所にあったのだが、

駅前開発でビルの背を刈り上げるように

大通りとも言える道路が通った。

ビルは勢い日の目を見る事になったが、

今更正面を180度入れ替える訳にもいかない。

結果、大通りに背を向けて建つ不思議なビルとなった。

夜、久しぶりにビールを引っ提げて、

この朽ちかけたビルに知人を訪ねた。

窓から明かりがもれているのだが、

入口に鍵が掛かっている。

取り敢えず、電話を入れたら

「今、スーパーの地下ですねん。

ついさっきまで本屋でKenさんの長男と話してたんよ。

ビールでも買って戻りますわ。少し待ってて下さいな」

と、ご機嫌な声が。

「あっ、ビール持ってきてますよ。買わずに戻ってきて下さい」



知人は塾の先生とは思えないほど、商売好きである。

ただ塾については例外のようだ。

大体、気に入った生徒しか入塾させない。

そして、授業料は恐ろしく安い。

大手塾の一教科の授業料にも満たない。

趣味は二つある。

一つは将棋。これはプロ並みである。

もう一つは読書。正真正銘の活字中毒者だ。

味噌蔵があれば本を取り上げ、2、3日監禁してみたい。

その蔵書は自宅を飛び出し、塾教室を埋めつくし、

それでも足らず、廊下から階段に溢れ出ている。

塾の生徒は本と本の隙間に置かれた机で、

授業を受けるという塩梅だ。

小説の類はなく、人文科学と社会科学系を好んで読む。

うちなんかよりも、断然いい本がある。



さて、スルメをしがみながらバカ話をするオッサン二人。

くだらない話で腹がよじれるほど笑った。

知人は缶ビール、僕はノンアルコール。

それでも僕も飲んだような気分になり、

話は結構盛り上がるから不思議だ。

「ところでkenさん、二男君は機嫌よく高校に通ってまっか?」

と、知人がメガネを掛け直しながら言った。

「ええ、お陰様でご機嫌で通ってますわ」

「それは良かった。ご機嫌が一番。

また遊びに来いと伝えておいて下さい」

「分かりました。ほんじゃ、今夜はこれでお開きにしますか」

僕が立ち上がろうとしたら、知人が

「kenさん、もし私に何かあったら全ての蔵書、引き取って下さいな」と。

「急に何を言うてますねん」

「いやいや、そろそろしまい支度をせんとあかんと思うて」

「気の早い事を。僕とさほど年も変わりませんがな」

「いやいや、一回りほどは違いますやろ」

そう言いながら、知人は少し真顔になった。

「私、連れ合いを亡くしましたやろ」

「お気の毒でした・・・」

「その時ね、人の一生ってこんなものかと思うたんですわ。実に呆気ない」

僕は、黙って頷いた。

「男というのはダメでんな。

これからどうやって生きて行ったらいいのやら、ほんまに途方に暮れますな」

「分かる気がします・・・」

「私の場合、塾と本があったから、どうにかこうにかやってこれたんですけどね。

寂しいもんですわ」

「まあまあ、そう言わんと。近々、飯でも食べに行きましょや」

「そうしますか」

「じゃあ、今夜はこれで帰りますわ」

「kenさん、本の件はほんまやからね」

「はいはい、30年後にね」


話し相手のいない自宅。一人で食べる食事。

人は生きる活力をどこからもらうのだろう?と、

漠然とした事を考えながら僕は自宅に戻った。

家内にそんな話をしたら、それには答えず

「ちょくちょく顔を出してあげないとね」と。

僕は頷いた。

人はどのような状況でも

命尽きるまで生きていかなくちゃいけない。

こんな時に読み返す本がある。

僕はどれほど「本」に助けられてきたことか。



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