ある日の情景より | レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々

ある日の情景より

「全身全霊を絞り出して小説という形にするんだよね。書くほどに涸れていく」

ある作家と話をした時のそんな言葉がずっと残っている。

どれ程努力しようが、自分はこのまま涸れてしまうのではないか。

そういう不安が和らぐ事はないと言っていた。

20年以上も前の話なのに、今もその時の情景が鮮明に残っている。

場所は賑やかな商店街を入ってすぐの珈琲専門店。

作家はアイスコーヒーに浮かんだ氷をストローでつつきながらそんな事を語った。

「そうかあ、作家には作家の苦しみや不安があるんだ。

そんな事思ってもいなかった」

と、ガラスコップの中で転がる氷を見ながら僕は言った。

「いやあ、いつもネタを探し回っていますよ。

数十年先の若手に負けないようにね」

作家は笑いながら言った。

それまで僕は自分の仕事の根幹が涸れてしまうなど、

考えた事もなかった。

それどころか、漠然と書店の売上は右肩上がりに続くものだと信じていた。

当時、どの業界の人間も同じように思っていたかも知れない。

時は流れ、随分事情が変わった。

気がつくと僕は小さな田舎町の古本屋になっていた。

15年ほど前、副業的に始めた古本屋が本業になるとは

それこそ爪から先も思わなかった。

古本屋になってみて改めて思ったのは、

本というのはなんてすごい力を持っているのだろうと、いう事だ。

新刊屋時代は、兎に角、作業に追われていた。

日々、送られてくる雑誌や書籍の入れ替えに多くの時間を取られた。

僕はどうすれば効率的に店をまわせるかを常に考えていた。

僕が見ていたのは本ではなく人の動きだった。

仕入れや返品は装丁や著者、書名、版元で判断するという、乱暴さだった。

到底パラパラと本の内容を見る時間なんて取れなかった。

どの店もとは言わないが、繁盛している頃の新刊屋の実態とはそんなものだ。


古本屋を始めてから状況は随分違ってきた。

本をよーく知らないと、買取が出来ない。

必要とされる知識は新刊屋どころではない。

大手古書チェーンのように、本の状態のみで買取をしているとえらい事になる。

最近やっと、少し本の選別が出来るようになったような気がする。

そして、この本は是が非でも残してやりたいという気持ちを持つようになった。

本の力、本の大切さ、本への愛おしさにやっと気がついたのだろう。

いずれにしても僕にとって本ほど面白い世界はない。

作家が得も言えぬ不安と闘いながら必死で本を書き続けるのなら、

僕は体の動く限り、そうして生まれた本たちの居場所を探してやろうと思う。





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