哲学する人・・・にはなれないよなあ | レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々

哲学する人・・・にはなれないよなあ

先日、岩波新書をドカッとお持ち頂いた。

その中に個人的に目をみはる単行本が紛れ込んでいた。

書名は「至高性 呪われた部分」。

ご存知の方も多いと思うが、著者はジョルジュ・バタイユ。

フランスの哲学者だ。

バタイユの名を知ったのははるか昔、先輩が愛読していた

「ユリイカ」という雑誌をパラパラとめくった時だった。

「色彩を持たない・・・」にその名が出てくるからではない。

バタイユは成り行きは兎も角、ハイデガーから、

「フランス最高の頭脳」という賛辞を呈せられている。

その後も僕は、バタイユという名前だけは知っているが、

「小難しいおっさんやろ」という程度の印象しか持っていない。

ましてや、その著作物を読もうという気になるなんて思ってもみなかった。


$疾走する古本屋!成穂堂〔なるほどう〕店主の苦悩と爆笑の日々-バタイユ



機会があれば読んでみるかと気が変わったのは、

時折手に入る「エクリチュールと差異」という本を何気なく手にとってからだ。

バタイユ「至高性」は、すでに絶版になっており、なかなか見つけられずにいた。

例え見つけてもちょっと手が出なかった。

え~、懐具合の問題である。

しかし、手に入る時には、実に呆気なく手に入るものだ。

読んでみて思ったのは

哲学思想本を面白半分で手に取ると立ち往生してしまうという事だ。

まるで出口の閉ざされた迷路に放り込まれたようなものだ。

出口のある迷路は、例えば右手を壁につけて歩き続けるといつかは出口にたどり着く。

だけど、こいつはそういう訳にはいかない。


ふと、小学生の時、伯父の家にあった古文をパラパラめくった時の事を思い出した。

日本語のようだが読めない。勿論、意味も分からない。

・・・そんな状況と変わらない。

結果、いつまで経っても読み進めず、

消化不良の胃袋を抱える事になる。

そんな小難しそうな本を読んでいる時、

家内は「外で何か悪いものを食べたわね」という。

そんな時、僕は黙ってニヒルに笑う。

しかし、枕元には藤子不二雄「オパケのQ太郎」が、こっそりあったりする。

僕には圧倒的にこういった本が肌に馴染む。



ところでこの本をお持ちになった方は、

かつて作家を目指しておられたそうだ。

ジャンルは幻想文学だったという事で、

何よりも国書刊行会ファンである。

僕は、同出版社発行世界幻想文学大系のある一冊を探し続けている。

もしもどこかでご覧になったら、

是非、お知らせ頂きたいとお願いした。


店頭というのは、こういったやり取りや人との関わりが、何ともいいのだ。

やはり、通販の倉庫になりきってはいけない。

その内、狭くても店らしい店を持たなくちゃ。