加藤諦三本 | レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々

加藤諦三本

時々、加藤諦三氏の本を読みたくなる。


至極分かりやすい文章で綴ってある。


著名な方なのでここに書く事もないのだろうけど、


心理学、精神衛生学、哲学を専門分野となさっている。



この名前を見るときに不思議に思うのは、


どうして名前に「諦める」と言う字を使ったのだろう?ということ。


名前に使用するには不似合いな気がする。


こうして書いているのを、家内が見て、


「「諦三という字は自分の父親がつけた。自分はそういう存在だった」


みたいな事を、氏が何かに書いていたのを読んだ」と言った。


僕は、愕然とした。


今から全てが始まる子に、それも我が子にそんな感情を抱く人間がいるのか。


それを知った時の氏の心の有様はどうだったのだろう?


僕には推し量れない・・・



昨夜、読んだのは「ああ青春」S.48発行の本。


氏の著書は僕みたいな悩める子羊が読むような○○の生き方、○○の心理


みたいな本が多いのだけど、これは小説なんですね。


当時の社会背景が見え隠れする。


それは、精神的疾病を持つ人を、その家族を、


社会の大勢が疎外していた時代。と僕は思っている。


S.48年、学生だった僕は、訳も分からず


「僕はどう生きていけばよいのだろう?


浮かれたように踊る社会に押し流されて生きていくのはいやだ」


と、思っていた。


その時代を背負っていた人たちは「今時の若者はなっていない」


などと声を大にして言っていた。


その時、若者だった人たちが、今、社会の中心にいるのじゃないだろうか?


本当に「なっていない」のか?


結局、僕は大阪を離れずにいるけど、


今では大阪の暮らしもそんなに捨てたものじゃないと思っている。


徐々にではあるけど、社会も、


精神的な問題を抱える人を理解し始めているような気がする。



ブログなどは、一面、それに寄与しているのじゃないかな。



僕は学生時代から、しょっちゅう、お腹を壊して苦しんでいた。


時には、もがき喘ぐくらい痛む。


医者に行っても、どこも悪くないと言われる。


当の本人には「じゃ僕はどうすればこの痛みから逃れられるのか?」


という苦しみだけが残る。


原因が精神的なものだと分かったのは、ほんの5,6年前。


愚鈍な僕は、精神的なことでお腹を壊す?あり得ない、と思っていた。


まわりにそんな事を話すと、同じような人があちこちにいる。


そして、その症状の軽減法を話し合ったりする。


幸いにも、僕のまわりの人たちは、そんな事を理解してくれている。


そうなるとおかしなもので、ひどい腹痛があまりおきなくなった。


十把一絡げに今の社会は冷酷非道のように言われるが、


個々にはとても温かい人もいる。きっと大勢いる。


個を滅して弱きものを支援しようとする人もいる。


そんなエネルギーが大きくなればいいな、と思う。


別にこの旗の下に集まれ、といった啓蒙活動をしたくて書いたのではない。


自分の出きる範囲のことをコツコツやればいいんだ、と思う。


ん~、物すごく真面目な事を書いてしまった。