日々の積み重ねでしか得られないもの | レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々

日々の積み重ねでしか得られないもの

昨夜、子供たちが僕の防具をでたらめにつけて騒いでいた。


そういえば、陰干ししていたものを、取り入れてそのままにしていた。



僕が初めて竹刀を握ったのは小学校3年の時だった。


幼馴染の父親が警察官をしていた関係で、剣道の真似事をさせてもらった。


中学校では、親が無理やり剣道部に入れてしまった。部員100名を超す大所帯だった。


高校、大学と、剣道から離れ、何だかんだで10年後に剣道を再開することになる。


他の武道もしていたので、仕事のあとは、常に体を動かす毎日だった。



別に、戦う事が好きなわけではない。


目の力、相手の呼吸、ごく僅かな体の動き、体の隅々まで、神経を研ぎ澄ます。


妥協のない世界。その張り詰めた空気が好きだった。


判断が一瞬遅れただけで、打ち込まれる。


鍛えられた心身はその人の「気」をつくる。



忘れなれない稽古がある。


めったに面をつけられない師範が「1本やるか」と言った。


御歳80。


当時、僕はまだ30歳そこそこ。


いざ構えると、いつもは小さいと思っていた師範が、徐々に大きく見えてくる。


師範の竹刀の切先がノドに突き刺さるような感覚にいたたまれず、いたずらに竹刀を払う。


間が持たず打ち込むと、ごく簡単に打ち返された。


僕は、知らない間にジリジリと下がり、打ち込むと、また、ぱーんとやられる。


まるで、壁に向かって打ち込んでいるようだ。はあはあと息があがっている。


気がつくと、道場の壁際まで下がっていた。


その時、この人は強いと本気で思った。


あとで、お話しを伺うと、「あんたは、考えているから弱い」と言う。


「体が勝手に反応するまで稽古を積むことやね。そこからやね。焦りなさんな」と、師範は笑った。


そこには、先ほどのもうもうと立ち上がる「気」はなかった。


にこやかに座る老人がいた。