メイドたちの記憶 15. Quadragesima Monday | さむの御帰宅日記

さむの御帰宅日記

ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 

 4月は隔週で更新するといいながら、結局、一月以上空いてしまった。前回の日記の一週間と少しのち、忘れもしないチャイナ・イベントの月曜日、ぼくは次なるイベントの打ち合わせのために御帰宅していた。向かいに座るは、畏友の作家氏。しばらくして屋敷の支配人が来て、打ち合わせとなった。5月と6月に御屋敷の協力を仰ぎたかったのだ。打ち合わせの際、支配人は小さな折りたたんだ紙を、まず畏友に渡した。ぼくは人の表情がなかなか読めない。が、何か重大なことが書いてあるのだというのは、作家氏の顔に現れていた。まるで彼がしたためる小説のように、その顔は何かを鮮明に物語っていた。

 

 紙がぼくに回ってきた。見ていいものだと思わなかったので、一度確認しても「よい」という。開いてみると、まさかの「閉館」の日付が書いていた。一瞬目を疑ったが、事実だった。ぼくは作家などのクリエーターではないが、物書きをして家賃を払い、一応、日本語で論文を書き、学会で発表しているのだ。文意はあまりにも明確だった。

 

 直後、ただ泣きそうになりながら、ただ泣くのをこらえていた。その日、乗り換えの地下鉄駅ホームで、一人になった瞬間に、なぜか雨が降って目の前がにじんだ。最寄駅に着くころ、大手企業の中間管理職の友人よりチャットが飛んできた。「赤ちゃんプレイ風俗嬢にロリータ沼に沈められた話」だそうで、「すごいよね!おれも女装しようかな」とのこと。おまえは一体何を言っているんだ…??と思いつつ、読んだら、あまりに可笑しくて笑ってしまった。しかしすぐにまた悲しくなって、もう意味が分からない。なんとも言えない気持ちで家に帰り、ドアを閉めたら、また室内なのに雨が降った。屋根に穴でも空いているのかもしれない。結局、あまりにショックで、翌朝4時まで眠れなかった。

 

 火曜日。午後一の仕事があり、翻訳に関する理論的研究云々について示唆を得て、御帰宅。支配人と話すも、いつも通り、可憐に笑顔を見せてくれるメイドたちが眩しくて、ただ泣きそうになった。可愛さと美しさが、痛みに変わるだなんて、神よ、あなたは残酷だ!それとも歴史よ、おまえはなんと!あぁ、なんと辛いことだろう、こんな哀しみが世界に存在するなんて!シェイクスピアでさえ、この悲哀をあらわすには不十分だ。

 

 そう思い、つとめて書かねばならぬ論文の準備に集中していたら、いつのまにか、旦那様お嬢様がいなくなり、支配人とメイド以外は、ぼくだけの瞬間が、約一時間くらいだろうか、ふと訪れた。新社会人の歓迎会やら何やらで皆いそがしくて御帰宅できないのかもしれない。思わず、できた空白に、メイドさん方と支配人とで他愛もない話をした。深い哀しみにくれていたけれど、そんなぼくへのまさかのボーナス・ステージ、僥倖であった。なので、思い切って、その場にいた全員とのチェキをお願いした。撮影は、新人のすずねさんである。どのチェキもメイドさんたちが与えてくれた瞬間であり大切なものであるが、この日のチェキはぼくにとって大切なものとなった。

 

 夕食にオムライスを食べた。初めてお絵かきに挑戦するというすずねさんが魚を描いてくれた。ギリシア語で、魚「イクソス」の絵または文字は、古代ローマ帝国において迫害にさらされていたキリスト教徒が、互いに信仰を言い表すための符牒、いわゆる暗号だった。ギリシア語で「イエス、キリスト、神の子、救い主」の頭文字をとると、イクソス「魚」という意味になるからだ。

 

 ぼくはキリスト教徒であり、長年の信仰と研究の結果、「メイドカフェは神の国である」という結論に到達した人類史上初の人間である。そして、この夜、それがあたかも実証されたかのような思いがした。寄生獣をみた夜をぼくは忘れないだろう。神様がくれた、贅沢な瞬間を切り取ったチェキに映ってくれたメイドさん方、本当にありがとうございました。ものすごく嬉しかったです。

 

 水曜日。仕事をまとめたのち、批評家の友人を誘い、再び御帰宅。とはいえ、みなとさん、さりーさんによるゲーム企画であり、通常開館日ではない。ゲームをしなくとも、ゆっくり作業してもよいとのことなので、お邪魔した。そして、どういう経緯か忘れたが、この日か、その後に、わーすたの「Just be yourself」を聞いた。歌詞の「10年後、30年後、過去になった"イマ"を笑顔でね、思い出そうよ!」というフレーズに激しく慰められた。そうだ。そうなんだ。

 

 その後、朝、ふとした瞬間に哀しみにくれたりと相変わらずつらい日々は続いたが、土曜日、ついに公式に発表されたので、少しだけ安堵した。この哀しみを言語化してもよいのだ。発表直後、仕事で出かける前に、最近、少し話すようになった旦那様に話を振った。おそらく、彼も知っていたのだろう。さみしくなるなと、互いの顔をみた。お出かけの際、あきほさんが来てくれたので、思わず、今後について聞いてみた。彼女はいつも通りの破壊力抜群のキュートな笑顔で答えをはぐらかした。

 

 こんなわけで、先月は書こうにも書けない、ことばにならない思いを抱えていた。おそらく、多くの旦那様お嬢様が同じ気持ちだったろう。何よりもメイドさん方は戸惑い、支配人には忸怩たる思いがあるだろう。そう思うと、とてもじゃないが、言葉にできなかった。

 

 ぼくの人生という季節の中での四旬節、クアドラゲシマ・マンデー、そんな受難節であった。いまより約一月ほど前の話である。