メイドたちの記憶① | さむの御帰宅日記

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ネットの海の枯れ珊瑚のあぶく

 誰も見ぬであろうところに書いてみる。なお続く予定はない。いや、たぶん続く。

 

 メイドさん方のブログに「いいね!」するためだけにアカウントを取ったわけだが、何か書くほどのことはない。しかし、せっかくメイドさんつながりで得たアカウントなので、メイドについて書くということにヤブサカではない。なので、メイドまたは御屋敷あたりについて書いてみよう。

 

 僕が初めてメイドさんを見たのは、たしか在米時である。当時、情報処理分野で世界一、公共政策で全米一の大学であるカーネギー・メロン大学(CMU)のアニメ・クラブに参加した際に目撃したのが最初だった。毎週土曜日に大教室を借りて、そこで18時から深夜0時まで、ひたすらアニメをみるのだ。彼らは、日本語でアニメOPもEDも歌えたが、日本語は読めないようだった。現在はクラブHPもあるようだ。

https://thebridge.cmu.edu/organization/vermillion/about

 

 非常に興味深い空間で、笑いどころが違うのが印象的だった。「北斗の拳」か何かのパロディについては誰も笑わず、アニメ・キャラの髪型で爆笑していたのが、日本人である自分との違いとして記憶に残っている。

 

 隣接するピッツバーグ大学は、医学部・哲学部などで有名な大学であり、医学部は世界ランキングで16位(東大23位)に入る。学問の塔と呼ばれる近代建築は街のシンボルであり、観光名所にもなっている。しかし隣にCMUがあるばかりに、CMUの学生たちからは「愚者の塔」と呼ばれるという不名誉な事態となっている。一度、CMUの学生に会ったことがあり、彼に「情報処理世界一というのは、マサチューセッツやハーバードに並ぶんですか?」と訊いたら、爆笑のち「そんな底辺校と一緒にしないでくださいよ」と言われたことは鮮明に覚えている。

 

 僕は測るすべがないので分からないが、それほどまでに賢い彼らでも日本語を歌うことができても、話すことはできないのだ。しかし、毎週6時間アニメを消化している。興味深いことだと思った。

 

 

 しかしながら、上には上がいて、在米時お世話になった分野の世界的権威の教授の末娘は、飛び級で20で大学卒業、21で大学院卒業、25で教授として某国に迎えられた。彼女とは英語で会話していたが、ある日、完璧な日本語で話している場面を見かけた。

 

 「え、話せるんや...?」

 「あ、うん」

 「なんで、隠してるんですか」

 「いや、必至にがんばってる人とかいて悪いし...」

 

 彼女いわく子どもの頃から、アニメとマンガを見て育ったので、それで日本語を覚えてしまった。たしかにイントネーションにおいても完全な日本語を操っているし、かつ字幕翻訳なしで理解できていることは自明だった。世の中には賢い人がいるのだ。なお彼女の父親である教授は某アイビーリーグの大学に正教授で迎えられたりもしたが、故あって、僕の行先に来ており、重度の日本マニアで、家では着流し姿、日本刀を研ぐのが趣味の人である。奥様も大学教授なので、まあカエルの子はカエルということである。

 

 そんなわけで初めて見たメイドの記憶は、米国の賢い人々の印象に結びついている。同時に、強烈にアメリカ的な印象として、メイドさんが記憶にある。なぜなら、そのメイドさんが黒人女性だったからだ。当日、CMUのアニメ・クラブはハロウィンが近かったからか、なぜかコスプレ参加者が多かった。コードギアスのゼロが印象に残っている。

 

 その中にいた若い黒人女性の学生さんがメイド姿だった。確かに歴史的により確かな表現であり再現な気もするが、個人的には日本人メイドを見たかったのだ。イメージとしては「黒執事」「メイちゃんの執事」「会長はメイド様」のようなものなわけだが、なんとも面食らってしまった。

 

 いま思えば、無自覚な人種的バイアスが働いてたが、それに気付くのは随分と後のことである。とまあ、そんなわけで、初めてみたメイドさんは、スラリと背の高いスレンダーな若き黒人女性だった。思わず人種問題とか大丈夫なのだろうか、と心配したことが思い出されるのであった。もう8年も前の話である。