息子を育てるのも、すべて紙おむつだったのに、今度の出産が終わったら、私自身は布ナプキンですごそうと思っています。

生協の広告に出ていて、ちょっと衝動買いべーっだ!


布ナプキン メイド・イン・アース(昼用)



このメイド・イン・アースの布ナプキンは、オーガニックコットンでできています。


病院から退院したあと、出血が減ってきてから昼用のものを使うつもり。


・・・ん、でも使い方がよくわからない。


使い始めたら、使用感などレポートしたいと思います。

産後の悪露の時期も、こういうものがあれば、ちょっとは楽しく過ごせそうですグッド!



ちなみに、今度の赤ちゃんも紙おむつの予定です。

なんか、自分ばっかり贅沢なもの使って!って気もするが。



こっちも買っておかなくちゃ。

いかがお過ごしですか?


私の住むところは、昨日あたりから花粉がぐっと増えて、鼻づまりが悪化してきました。


いやいや、仕事の方ではシーズンだというのに、抗アレルギーの点眼薬を切らしてしまいまして、患者さんには多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。

少しでも早く、点眼したかっただろうに。(身にしみてわかる、花粉症に関しては・・・)

問屋さんでも欠品で入荷がさらに遅れてほんとに申し訳なかったです。


ところで、私は、重症花粉症(鼻閉を伴うタイプ)でありながら、この10年ぐらい薬を飲んでいません。

妊娠を希望して、というのもあるけれど。

薬を飲んでも眠くなるだけで、鼻づまりがよくならない。

これが最大の理由かな。


ある時、勤めていた薬局の隣にあるクリニックの内科の先生にかかりました。

「今、妊娠はしていないんだけれど

 妊娠を希望しています」

と伝えました。


先生は、それならば、ということで外用だけで様子を見ることをすすめてくれました。

抗アレルギー薬、抗ヒスタミン薬の中には、妊娠初期にはあまり使いたくないものもあるからね、と。

ちなみに私がそれまで飲んでいた内服の薬には、「高用量で動物実験における受胎率が低下する」という記載があった。


先生が言うには、花粉症用のマスクをすれば、花粉を90%カットできるそうです。

メガネなども併用して、極力、花粉を吸う量を減らせば、ある程度症状はコントロールできる。

その考え方に共感して、今でも励行していますよ。


帽子、ゴーグル、マスクの3点セット。

【送料無料】アンチポランダウン(スギ花粉対策帽子)

花粉防止用グラス7032(3)

超立体マスク 花粉用 ふつう 30枚 (2入り)


見た目はすごいけれど、鼻が詰まって眠れないことを考えれば、春の間の2,3ヶ月はやむを得ない・・・。

かなり、おばさん根性が板に付いてきました。


そして、これを実行した結果・・・。

「マスクをしないで、薬を飲んでいる」

というのと

「マスクをして、薬を飲まない」

というのが、ほぼ同等である(私の場合は)と実感しました。



あと数年して、子どもの授乳が終わった頃、薬を飲むようになるかもしれないけれど、重装備+薬で、さらに快適になる・・・はず。

楽しみにしていよう。

眠くならない薬も続々とでているしね。



ところで、ずっと薬を飲んでないって書いてしまったけれど、2年前の大量飛散の時は1週間だけ、薬をのんだっけ。

目がかゆくて、こすりすぎた結果・・・白目がむくんで盛り上がりました。

黒目より盛り上がって飛び出してしまったの!!


この時はさすがにビックリして、終了間際の眼科に駆け込んだよ。

おじいさん先生は

「あなた、いつもこんなになるの?」

なんて笑ってたけど、こっちは笑い事じゃないんだよー。



花粉症の皆さま、かゆくてもこすりすぎてはいけません。

くれぐれもお大事にビックリマーク

思いつきでブログを始めてしまったので、まだ書いてませんでした。

ジストニア歴。


なんか変だな、と思ったのは高校生の頃。

授業中、えんぴつを持つ手が、たまにピクっとなって、人差し指が内側に屈曲することがあった。

まあ、そう言うこともあるか、と思ってぜんぜん気にしてなかった。

でも、ここがジストニアの入口だったのではないかと思う。


持ち方を変えてみたりして、普通にかけていたので病識は全くなし。


大学生の頃、母が痙性斜頸になり、その時、類縁疾患として「書痙」というものを知る。

私って、これじゃないか。

あまり言うと、病気になった母が悲しがるので言えなかったけれど、もしかしたら・・・と思っていた。


それが、本当に病気になったとき。

それは、病院に就職し、高さの合わない机で字を書くようになってから。

普通の机に座って字を書くときも肘が上がってしまって書きづらいのです。

書く字がだんだん窮屈になって、これはおかしいな、と思い始めた。


決定的におかしくなったのは、病院で出していた薬が院外処方にかわり薬剤師がリストラさせられたとき。

私自身はリストラの対象ではなかったのですが、ここにいたら気がおかしくなると思って自ら志願して医事課に異動させてもらった。

それを聞いた薬局長が怒り狂い、薬局内は大混乱。

あの時のストレスが、症状に拍車をかけ、ほとんどかけなくなりました。


しばらく、左で書いたり、がまんしていたのですが、どうしても治したくてタウンページで調べた近所の心療内科へ。

書痙ではなく「心身症」との診断。

自分では神経内科の教科書を読みあさって、先生にこんな薬を飲んでみたいと提案したり。

先生はいい顔はしなかったが、薬は出してくれました。でも

「治そうと思わなければ、治る」

と言う先生の言葉に少し反感を抱いて、近くの総合病院の神経内科に紹介状を書いてもらいました。

大きい病院で専門の先生に客観的に精査してほしかったから。


脳のCT、血流量測定、筋電図をとったけれど、異常なし。

その先生ははっきりと

「書痙は大変治りにくい病気です」

と言った。

治りにくいと言われたけれど、はっきり言い渡されたことで心のもやもやくもりがすっかり取れた晴れ


ならば、それなりに生きてやろう。

薬は眠くなるばかりで効果が感じられないので、すべてやめました。

通院もやめました。

ボトックスの話はここで初めて知ったのですが、まだ日本では認可されていないので気長に待ちましょう、と言われました。

また、脳の手術という方法もあるけれど、私の場合はまだまだ、それ以前にやれることがあるはずだって、アーテンの増量とか、ボトックスの認可を待つとか。だから、適応ではないって。



それから、左手で字を書く練習をして、何とか仕事はできるようになりました。

左利きとして生きていた時代もあります。

自分としては、不便だけどこれで不自由なく暮らせると思っていたので病院で治療する必要もないと感じでいました。


その後、第1子を妊娠。

妊娠中、散歩の途中で偶然通りかかった総合病院。神経科病棟の庭が見えて、車いすの人たちが並んで体操をしていた。

自分で歩ける私はこの病院に来てはいけないんだ、もっともっと大変な症状の人がここでの治療を待っているんだ。

そう思うと、その病院に自分が通院するのはふさわしくないんだと思えてきた。


そして、出産。


子育てする上でも支障はなかったのですが、ほ乳瓶を支えたり離乳食を食べさせている右手が、やっぱりしんどかった。

このころ、お箸も左手にかえました。


子どもが1歳の頃、仕事に復帰。

仕事が忙しい上にシロップの瓶を持つ手がつらい。

就職してしばらくは会社がいい加減だったため、健康保険に入れず、無保険状態。

病院にかかることができなかったため、放置・・・その結果、しびれが強くなり、再び総合病院の神経内科へ。


神経内科では、手根管症候群を否定されただけで、投薬・治療はなし。

自分としては、手首が勝手に内側に曲がってとても困っている旨を話したが、サポーターの着用をすすめられただけで何も変わらなかった。


その後、流産をくり返したりと言うことがあったので、ジストニアの治療は先に延ばして、不育症を先に克服しようと決意する。

ジストニアの方は、ただひたすら、我慢。

仕事がやりにくい(書字が困難)のはもちろんつらかったけれど、その疲れを持ち越したまま、夕食の準備をするのがさらにつらかった。

でも、子どもには、なるべくなら買ってきたお総菜ではなく、私が作ったご飯を食べさせたかったので、頑張って作りました。



不育症を先に克服しようという決意も、流産するたび、ジストニアの症状が悪化するたび、何度も揺らいだけれど、やっとやっと、トンネルの先に光流れ星が見えてきました。



今は、出産を無事終えて、ジストニアの治療が始められる日を心待ちにしています。