その後はというと、
保険委員長の仕事にも
タバラ先生を見返してやろう!と
全力で取り組みました。
部活も、ギリギリ人数の揃う弱小部でしたが、
自分たちで練習メニューを組んで努力し、
10年ぶりにコンクールで銀賞をとりました。
空手も、全国大会、中体連共に全力を尽くし、
マツムラ先生(厳しい道場長)に連れられて
「自慢の一番弟子だ」と
語ってもらえる程になりました。
そして本業であるお勉強も、
空手の引退が遅かったこともあり
12月から塾に通いだしました。
今までにないハイレベルな勉強に
最初は戸惑いましたが、
学ぶことが楽しくてしょうがなかったので
(優等生。笑)
夢中になって勉強してたら
1ヶ月で難関校受験コースまで上り詰め、
志望校をA判定まで持って行きました。
とりあえず、1月の私立高校奨学受験。
お兄ちゃんの通っている
空手の強豪校です。
結果は奨学B。悔しすぎる。
(あとで聞いた話、
もう2点高ければAだったとか)
まあ本命は3月だから。と
気持ちを切り替えて勉強を始めますが、
公立高校受験一週間前に事件が起きます。
お兄ちゃんが空手の試合に出たらしく、
そのビデオを家族みんなで見ていました。
私は同じリビングで
ひたすらに勉強していましたが、
ふとビデオを見てみると、
私が苦手でしょうがなかった組手の試合で
お兄ちゃんが活躍していました。
私たちが通っていた空手道場は
形ばかりを練習するところだったので、
昇級のために渋々練習する組手が
大嫌いでした。
だって、痛いもん。笑
私の家系はそういった荒々しいことは
できないものだと思いこんでいたのに、
お兄ちゃんはそれをやってのけたのです。
当然、負けず嫌いの私は、
お兄ちゃんができて私ができないものは
許せませんよね。笑
まあ、それもありますけど、
1番惹かれたのは、「苦手を克服してみたい」
という点ですかね。
それまで「苦手」と呼べるものが少なく、
なんでも食べる
なんでもやりたい
みんなが友達
みたいな贅沢な人生だったので、
唯一苦手と呼べる組手を克服してみたいと
心から思ったんです。
そして、これが初めての
意図的な「自分にとって厳しい選択」でした。
公立高校に行けば、
可愛い制服
キラキラ青春
意識の高い友達
楽しい放課後
はおそらく保証されていました。
けど、
空手のスポーツ高校に行くということは、
髪を短く切り
5時起きで朝練に向かい
なんとなく授業を受けて
放課後部活をやりきり
先輩からの無意味な説教を受けて
間に合えば道場に練習に行き
家に着いたら部活の日誌を書き
リビングで寝落ちする
という生活が待っているということです。
(お兄ちゃんが先に体験してるので
入学前からわかってました。笑)
それでも、きつい生活を送りながらも
私が今まで築いたことのない仲間を
お兄ちゃんは持っていました。
つまり、お兄ちゃんと同じ高校には
私の完全なる未経験が
詰まりまくっていたのです。
素敵すぎる、、。
私はすぐに、
親に公立高校を受験しないことを伝え、
担任にも同じことを伝え、
校長室に呼び出されて、
初めて先生に怒られました。
それでも熱心に伝え続けて、どうにか
公立高校の願書を取り下げてもらいました。
その節は本当にご迷惑をおかけしました。。
高校も決まり、肩の荷が下りた私は
友達と田舎町を自転車で爆走しながら
たくさんの思い出を作りました。
地元の子はみんな、本当にいい子ばかり。
というか、いい子しかいなさすぎて
世の中の悪人存在論を否定していました。
殺人鬼にもきっと辛い過去があって
そんなことしちゃったんだ。って。
頭の中お花畑ですね。
そんな中、中学時代で心残りとなったのが
初恋のカレです。
実は中2の時、友達に強制的に
告白させられまして、
見事振られました。笑
それでもカレのお母さんや友達によると
時期違いで私のことを今も思っていると。
なんでも、私が急遽諦めた公立高校を
カレも受験予定だったのに、
私が受験しないと聞いて
一気にやる気が冷めてしまったのだとか。
(ほんとかなあ。笑)
結果カレも滑り止めの私立高校に。
カレとの淡い思い出は以上になります。笑
今思えば、
私の唯一キラキラした思い出かな、笑