低い爆音にカメラを抱えてベランダへ。
我が家頭上にP3-Cか~、と思って見上げると!!
一目見て! US-2である!!
生憎のトップライトであるが、機体番号もハッキリ。
9901号機である。この機体は試作1号機でありshakedownを経て正式にUS-2となった機体。
試作1号機時代の9901号機
かのニュースキャスター(?)辛坊治郎氏がヨットでの最初の太平洋横断途中でクジラとの衝突によりヨットが沈没、遭難した際救助した機体がこのUS-2である。(9903号機か??)
いつの日か 離水、着水シーンを撮ってみたいものだ。
改めて説明をするまでもないが、US-2を製造した新明和工業(厳密には主契約社)の前身は大戦中の航空機メーカー川西航空機である。
川西航空機は九七大艇、二式大艇など大型水上機、陸上機では「紫電改」という名機を製作していた。
この二式大艇の離水、着水性能は世界でもトップクラスであり、新明和工業はその伝統を途絶えさせることなく、US-2という現代においても世界一の飛行艇を産み出してくれたのだ。
新明和ではUS-1Aの改造型ということで「US-1A改」としたかったそうだが、防衛省側でUS-2としたことで「改」は使用されなかったとのこと。やはり川西といえば「二式大艇」と並び「紫電改」だから「改」をつけたかった・・・は考えすぎか??
「紫電改」 (ここは小松崎茂先生の画を使わせていただこう)
武器輸出規制などの壁により製造個体数の少なさからコスト高などの問題を抱えており、将来的に「日本固有の優れた技術」を伝承、継承ができるか危惧されている。
半導体技術は海外流出し荒廃してしまったかつての「電子立国ニッポン」。戦後初の日本の翼「YS-11」は官主導のビジネス失敗により潰え、「MRJ」は型式証明も取得できず・・・
技術文化の保存もできない敗戦国・・・どうするニッポン!!