入間の思ひ出 その1 | simonのブログ

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1/20に予定されていた入間航空祭が中止となった

 

昨年の百里に続いて400mmデビュー第二戦として意気込んでいたのだが、残念な報せである。ただ入間基地が能登大震災の航空支援拠点となるという理由では仕方がない。隊員のみなさんにはご苦労も多いと思うがぜひ事故にきをつけて頑張ってもらいたいものである。

 

この中止がオフィシャルとなった数日前に、埼玉県の入間基地協力企業には事前に中止の連絡がありその企業のお祭り仲間から中止の連絡をもらっていた。おかげで開催予定日前後に立て込んでいたスケジュールを早々に対応ができたのので感謝である。持つべきものは良き仲間だ。

 

デビュー第二戦の予定が立たない中、古いアルバムを整理していたところこんなモノを見つけてしまった。

 

1964年11月の入間基地のブルーインパルスである。

 

F-86F=ハチロクセイバーだ。

 

若きブルーファンの「空女」にこの写真を送ったところ「T2ですかぁ~?」と。

「T2は高翼!これはエフハチロクエフという飛行機です!」と、少し腹立ちモードで(?)返信。 ハチロクブルーを知らない世代が多くなっていることに涙涙涙のトシヨリである。

 

この開催日は正に特別な航空祭。 米軍から復元された「零戦」が日本に返還された戦後の記念すべき日であった。

 

もちろん小僧であったこのトシヨリは年上の従妹に連れられて入間基地を訪れたのだ。

 

返還された零戦52型。 スピンナーはP2 ネプチューンの流用だ。

(機体前に立つ人物は無関係)

 

現在「かがみがはら航空宇宙博物館」に展示されている「飛燕Ⅱ型」も展示。

この頃は航空祭はもちろんのこと、いろいろなイベントで展示されていた。

 

特攻兵器「桜花」。

 

入間基地は「敗戦」後米軍に接収されジョンソン基地と命名されおり、その時代から展示されていたものである。

 

1964年当時は入間基地と名は変わっていたが米軍との共同運用。戦後19年後の1974年に全面返還となるまで日米共用基地であった。

 

「桜花をBAKA BOMB=バカ爆弾と呼んでいたアメリカ人がどのような気持ちで展示、目にしていたのであろうか…