一部仏像名に誤りがありましたので加筆訂正いたします。1/12/2023 m(_ _)m
新年も明けて間もない某日 上野のお山へ出張る。
出張った先はトウハク=東京国立博物館
今回の目的は 奈良 大安寺の仏像展
多聞天 立像
弘法大師 坐像
楊柳観音菩薩 立像
聖観音菩薩 立像
不空羂索観音菩薩 立像
増長天 立像
持国天 立像
広目天 立像
一日では見切れない多くの展示品の中で8つの仏像の特別企画
政治 宗教にはまったく疎い年寄りであるが、これらの仏像に相対した時に自然と手を合わせたくなる。これらの仏像がなにを意味、語りかけているのかは分からないが、像に向かって手を合わせた時 気持ちは落ち着き安らぎすら感じる。仏像に手を合わせる、ということは逆にその落ち着いた自身の精神に手を合わせ自身と向き合うことなのではないか、とも思ってしまうのだが…
この年寄りばかりではなく幾人かの見学者も手をあわせていた。そのような行動にをさせるオーラ(?)がこれら国宝でもある仏像(作品)の見事さなのであろう。
久しぶりに心の汚れが落ちたようなひと時である。
-----ここから訂正ついでに追加---
心のよごれが落ちたのもつかの間、お山を下りるころにはすでにその心は煩悩につつまれている。
お山をおりればこの年寄りの心の故郷 アメ横。
初売りの掛け声も耳に届かず煩悩の塊の地、中田商店へ。(画像拝借)
春秋物のミリジャケの下見。
ふと 耳に入った若いお客のささやき
「着物でこんな店に入る人もいるんだ~」
うん うん 若者よ 君達が生まれる前からこの店に通っている中にはそういう年寄りもおるのだよ。