春荒れの日にいろいろと | simonのブログ

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今年も咲いた

 

 

 

いよいよ冬ともおさらばである。

 

そんなうれしい春を迎えるにもゲートはある。

 

春の嵐だ。

 

西から発達した低気圧の影響で荒れた週末

 

家人の誘いで「鏑木清方 展」へ

 

 

このコロナ禍ではあるが、以前より少なくなったとは言え都心には時折出向いていた。

 

この美術館そばの竹橋ICは首都高都心環状線にあるのだが、ここに来る道にある馴染みの呉服橋出口がなくなっていた! あるべきものがないのだ!

 

 

東京駅八重洲口にアクセスするのためによく使っていた出口である。急ぎネットで調べてみると首都高日本橋区間の地下化のために呉服橋、江戸橋出口が廃止されたのだという。それも昨年5月のこと!!

 

思い返してみれば23区の東側エリアへの短時間の往復程度であり首都高都心環状線を走っていなかったという証である。

 

ということは、八重洲口にアクセスするには首都高6号から江戸橋を銀座方面に向かい宝町で降りる、というルートになるのだろう。マア 八重洲口正面にぶち当たるのだから大きな問題はないのだが、一橋や常盤橋が垣間見える呉服橋出口付近の風情が好きだったのにと残念。

 

 

 

しかし、この日本橋区間の地下化により高架に覆われていた日本橋の空が開けるその風景は楽しみではあるのだが。

 

そんな多少の驚きとともに美術館へ入る。

 

当然 美術的造詣の低い年寄りに云々語る術もないが、和装の美人画にわずかに配される紅色が印象的。

 

この近代美術館のお気に入りスポット。

展望休憩所 「眺めのよいい場所」

 

平川門 皇居東御苑が望める

 

 

平川壕から大手町のビル群

 

時間は昼を疾うに過ぎている。 

 

生憎 この付近には隣のレストラン以外に店はない。

ほど近い竹橋交差点 毎日新聞社の地下の食堂街に向かう。

 

(画像借用)

 

強風に逆らって社屋に入ると、少し現代には不釣り合いなモニュメントがでむかえてくれた。

 

 

「ニッポン 世界一周大飛行完成記念」

 

もう言わずもがなの 太平洋戦争前の1939年に、日本→アメリカ→ブラジル→ダカール(アフリカ)→ローマ→イラク→インド→台湾→日本(日本を除く31か所の寄港)5800kmほどを55日間かけて飛行した、当時の日本の航空機技術を世界に知らしめたイベントである。

 

このニッポン号は現三菱重工製で帝国海軍で運用されていた九六陸攻を軍から払いうけ長距離飛行用に改造した機体である。

 

三菱の本庄季朗技師が設計主務者として手掛けた機体でジブリの「風立ちぬ」で本庄技師とともに機体もチラリと出演している。

 

歴史の趣を感じさせるこのモニュメントは実際には平成元年に複製されたものとのこと。

 

こんなレアものや風景の変化に出会えたことで春の嵐に出張った介もあったというものだ。

 

心置きなく再びお江戸ブラリを企てられる日が待ち遠しく思う春荒れの一日である。