『私の友達がね、旦那さんを亡くして、優雅な老後を始めてて。先日東京へ来たからって連絡があったから会いに行ってきたの。天王洲のホテルのスイートルームに。彼女は旅行好きでいつもホテルはスイートなの。知り合いのコネで安くしてもらって、1泊24万円だって。すごい部屋だったのよ。』

 

「なぜ彼女はスイートに泊るの?VIPなの?」

 

『ううん、だだお金持ちなの』

 

「・・・・・・。」

 

『彼女は別荘もあってね、大きな別荘が3つ。亡くなった旦那さんは時の首相に”桜を見る会”とか呼ばれちゃうような人だったの。以前うちへ寄るって言ってマンションの前に迎えに下りたら黒塗りのハイヤーで乗り付けたのよ(笑)』

 

「なんで?彼女は社長か何かなの?」

 

『ううん、ただ出先から来るときに、滞在していた先の方から”うちの車で送る”って言われて黒塗りになったらしいの』

 

「ふーん・・・・・・・・・・。ご主人亡くしてお子さんは?」

 

『いない。ひろー--い別荘にいつも愛犬と滞在してるのよ!』

 

ここで思わず私は声を出してしまいました。

 

「うわ、さっびしーね。どんなにお金あっても犬とぼっちなのは私は嫌だなぁ」

 

するとママ友の方が『・・・。』

 

 

 

人生っていろいろですね。

今日ランチしたママ友の話をブログネタにしました。

このママ友自体をなかなか残念な人だと感じ始めてしまいました。

私の友達には彼女が話したような人はいません。

お金持ちの人がいないのではありません。

お金持ちの人もいると思います。

(いると思うと推測になっているのは、例えお金持ちでもそういうことを自慢げにしたり見せびらかすような人たちがいないので想像になります)

 

私は私の友達を語るとき、その人の持ち物(別荘だのスイート泊だの)の話をするつもりはないです。

まぁ話の流れで必要になる情報ならば話すかもだけど。

私は友達の生き方や人生の選択、人としての在り方で、特にすごいな、素敵だな、かっこいいな!と思ったことを他者に話したい。自分の友達がどんだけお金持ってるかなんて、言う必要あるのかな??それで私自身の価値が上がるわけじゃないのに。

 

まぁこのママ友とは価値観が違いすぎるなとは思ってて、だけど私に降りかかる害は特にないので、ときどきランチしてはいるのですが。

 

たった数時間会っ話してきただけでなかなかの疲労感ですぞニヤリ

 

私の老後は友達と旅行三昧して、畑かベランダで野菜やお花育てて、来る日も来る日も誰かと関わって、泣いて笑って感動して過ごしたいね。どんなに旦那が遺産を残してくれたとしても24万円のスイートは自腹じゃ泊まらないな。もっと他に使いたいね!人生でそんな経験しなくても幸福感はすでに得られているよ。まあ懸賞で当たったら~くらいで十分かなニヤニヤ笑「THE ど庶民」夢しか語れない~音譜