武術や自分の趣味で幅広い人脈やネットワークを持っている人っていますよね。
本人は普通の人なのに、有名人と友達だったり、あるいは知り合いだったり。
もしくは良いアドバイスを得られる知人がいたりと、人脈づくりが上手な人って必ずいます。
中には本人がそう思い込んでいるケースもあると思いますが(笑)
こういった事(ネットワーキング?)に関わる本とか出ていますが、僕は50年ちょっと生きてきて人脈って自然に出来るものと感じています。中には人脈づくりに力を入れて成功している方もいますが、僕はライフワークとしている詠春拳では無理に人脈を広げようとはしていません。
それでも、師父、師母、師公、師叔、師伯、師兄、師弟といった人たちとの出会いは勿論ですが、武術に関わる人たちとの御縁は非常にラッキーなものを持っていると思います。(自分でいうのは何ですが武縁は非常に良いです)
だからこそ、今まで何事も続いてこなかった僕が詠春拳を18年も続けてこれたと思います。
「何か特別な事をしてきたか?」の答えは上述のとおりですが、一つ感じる事があります。
それは「あえて、人脈を作ろうとしない」。
これは人との出会いを邪険に扱うという事ではなく、むしろ逆で誠実に相手をリスペクトする事、そして利害関係を生まない接し方をする事。
武術を学んでいると自分の流儀が一番という人がいます。勿論、自分の学んでいるものが一番という信念は非常に大事ですが、これが強すぎると折角新たな学びがあるかもしれないのに自分で遠ざけてしまう事になるかと思います。
自分の学ぶ流儀と自分の実力を混同してしまうと、意地やプライドでチャンスを逃してしまう事もあります。
僕は最初、フランスで詠春拳をある先生の下で始めました。その時にはその先生の系列が一番と信じて練習していました。その後、アメリカに移り同じ系列の先生を探していましたが、いませんでした。 アメリカに移って1年くらい先生探しをしていた頃、フランスの先生に「同じ系列の詠春拳で、誰か良い先生を紹介してくれないか」と何回かメールしました。
彼の返事は「君の忠義心は本当に嬉しい。でも、詠春拳を続けるならば自分が尊敬できる先生を探すべき。系列は問題ではなく、本当に大事なのは何を学べるのか。そして、テクニックだけではなく、武術との良い向き合い方が出来るようになるべき」というものでした。
その後、ニューヨークで最初に出会った師父に入門、弟子となり、師父が他界してからは先生の先生(師公)に面倒を見てもらって、今も詠春拳を練習できています。
とりとめもなく書いてしまっていますが、結局はご縁って自分で決められるものばかりではなく、自然に得られるものと僕は思います。それには、具体的でなくとも自分が何をしたいのかを考え、イメージをする事だと思います。特に武術で僕は自分に欠けているものが何か分からない時にその答えをくれる人達に偶然出会って悩みや疑問を解消する事が出来てきました。
つまり、時間はかかっても何かを自分なりに追求したいと思えば、必要な時に必ず何らかの「ご縁」が出てくると感じています。
功を急がず、自分が好きな事を追求すれば、必ず道は開けます。
それは自分自身の悟りかも知れませんし、導いてくれる師や友人かもしれません。どんな人でも必ず自分が知らない事を知っているはずですし。
そして、自分自身も誰かの助けに必ずなれると信じています。
そのためには今、自分がしている事を心から好きになる事。
それと頑張っている自分をほめてあげる事。そうすれば、違う世界の道を目指している人が助けてくれると思いますし、誰かの役に立てるかと。
これからも人との出会いを大切にしたいと思います。