この概念がある限り、不幸からは一生抜け出すことはできないでしょう。
そもそも悲しみや怒り、憂いなどの感情を悪とし、否定し、排除しようとするから幸せと不幸の負のループに入っているのです。
理由は簡単。
意識とはそういう仕組みなのです。
生きることと幸せを結びつけるのもやめましょう。
生きることと幸せであることは全く関係のないことです。関係があるのならなぜ関係があるのか文章化してください。
その文章で自分以外の他人に理解してもらうことができますか?
できないならあなたはそれについて“感覚的にただ否定しているだけ”で、実は深くなど考えていないということです。
そもそもその概念はいつから持ち始めたのでしょうか?
誰かに教わったのでしょうか?
それともみんなそう思っているから自分もそう思うのでしょうか?
当たり前のことに疑問を持つことです。
自分自身にも
家族のあり方にも
社会にも
国にも
世界にも違和感があるなら
やりたいことが無いなら、
生きる目的が見つからないなら、
あなたの中にある“普通”と呼ばれるもの全てに疑いを持つことです。
世界が謳っている“普通”に疑問を持つことです。
そしてもう一つ重要なことは
“楽しむ”には2種類あるということです。
楽しむために生きる
遊ぶように生きる
これらには注意が必要です。
『楽しめないことはやらない、できない』なら
あなたはただ勝ち負けのゲームをしたいだけです。
それは娯楽と一緒で“何もしたくない(つまらないことの方が多いしやりたいことなんて無いから)”の裏返しです。
その楽しみとは堕落の“楽(落)”なのです。
本当の“楽しむ”という行為は“遊び”に当たります。
こちらの“遊び”とは“ゆとり”のことを指します。
こちらの場合は何にでも少しの余裕がある状態です。
「楽しめない」又は「これなら楽しめる」という状態に“遊び”はありません。
こっちの場合の楽しみ方はゆとりのある選択と行動ができるので堕ちる方の“楽”ではなく、成長や進化の方向へと進みます。
つまり、何にでも自ら楽しみを見つけられる状態ということです。
楽しめる何かを自分で取捨選択してるうちはゆとりなど無いのです。
そして幸せだからといって正解とは限りませんし、楽しんでいるからといって正解ではありません。
いかにも「こういう生き方が正解ですよ〜」なんて聞こえの良い答えを提示して売り物にしている人たちにお金を使うのは気を付けた方がいいです。
生き方を自分で考えられない、決められない人たちは良いカモなのですから。
春全開‼️(о´∀`о)❤️
精神分析2024年度。
5月に募集予定です。