自然の仕組みは完璧です。
昔理解の授業で見た食物連鎖の図から、私たち人間の立ち位置を考察し、なぜ今私たちの大きな家である地球が非常に住みづらい場所になってしまっているのか?
更にはもう少し視野を窄めて人の社会における食物連鎖のフラクタル性を考察してみました。
地球もそうだけれど社会でも生きづらい。それらには関連性が全く無いということはありません。
なぜ地球の生態系も、人の社会もうまく循環しないのか?その答えが食物連鎖の中にもありました。
自分のことをよく知る上でも必要でしょう(自覚)。なぜ自分がいつまで経っても下層から抜け出せずにいるのかをw
まず基本の食物連鎖の図を観ていきましょう。
調べているとなぜか人間は、三角形の一番頂上に君臨している図が多く出てきます。人間は確かにいろんなものを食べるという視点では頂上に位置するのでしょう。
しかし不自然なのはその数です。
本来ならてっぺんに君臨する肉食動物は一番生存数が少なくてはなりません。それが自然の仕組みです。
しかし事実で観ていくと、一番数の多い最下層の“分解者”が人間が分類されるべき位置となります。
“分解者”は細菌やバクテリアです。
一番小さく弱いがゆえに一番数が多く、上に君臨する全ての汚物の処理をし、再利用できるように自然に帰す役割を担います。
ところが私たち人間はこの“分解者”としての役割すら担っていません。
全てを喰らいながら自然に帰すどころか、汚物ばかりを排出しています。しかも自然が分解できないものばかりをw
さて、ここで視点を別に移しましょう。人の社会のお金という食物連鎖です。
図が無いので走り書きw
図だけ観れば正しいでしょう。しかしなぜ社会はうまく循環していないのでしょうか?
それは各層の人の意識と行動に答えがあります。
下民はたくさんいます。それは社会という仕組みを循環させるための自然な状態です。
ここで具体的な意識や行動を観てみましょう。
下民のほとんどの人が『自分は貧しい』と思っています。だからたくさんお金が欲しいと思っています。
でも実際にお金はたくさん入ってきません。それどころか生活するのに精一杯です。
苦しい毎日から少しでも逃げるために彼らには“娯楽”が必要となります。
その“娯楽”に使うために無理矢理仕事量を増やします。お金を稼ぐため…ではなく“娯楽”に使うために。
いつしか下民の意識は“生活のため”ではなく“娯楽のため”にお金を稼ぐように変化していきました。
“楽しみ”がたくさんあればあるほど上層の人間と同じ人生を送れていると思いたいし、感じたいのです。
なので下民は楽しめることへならものすごいスピードでお金を払うことを決断します。そしてお金を払うこともいとわないです。
例えお腹がいっぱいでもその選択基準は変わることはなく、いつでもどこでも満たしたい欲求でいっぱいなのです。
まるで飢えたままの肉食動物。
いくら捕食しても満たされることのない空腹感。
そうです。下民はたくさんいるのに意識も行動も肉食動物なのです。
では上層民はどうでしょうか?
彼らはたくさんのお金を必要としていません。既にたくさん持っているので『自分は裕福』と思っています。
既に生活できているので無理矢理仕事量を増やす必要はありません。必要なものが必要な時に手に入ればいいからです。
“楽しみ”はそんなに多くありません。あるとするなら穏やかな毎日、大切な人と過ごしている日々、他愛無い出来事で充分です。
そこには“贅沢”など必要ありません。なのでお金もそんなに出ていきません。
それでもお金は必要なものなので仕事はします。しかし大切なことは“お金稼ぎ”ではないのでそんなにバリバリ動きません。
必要最低限の行動でしか動きません。
大きくも動きません。
言うならば草食動物のようにほとんど動くことなく、身近に生えている草をゆーっくりと何度も何度も咀嚼し、少しずつ時間をかけて食べ続けています。
その行動はとにかくゆっくりです。そしてお腹が空いてるとか空いてないとかの感覚もほとんどありません。
いうならば常にいっぱいなのです。
食物連鎖の図で考えるならば、本来上層民の意識の人たちは草食系なのでたくさん人数がいるはずなのですが、社会の人口で観ていくと逆になっていることが分かります。
下民の方が多いのに意識や行動は肉食動物。
上層民の方が少ないのに意識や行動は草食動物。
さて、あなたの意識はどちらでしたか?
自然における食物連鎖の図での立ち位置、そして意識と行動を振り返ること。
人間の社会におけるお金の食物連鎖での立ち位置、そして意識と行動を振り返ること。
なぜ自然の循環が機能していないのか?
なぜ食物連鎖の三角形の本質は逆三角形なのか?
中身が観えると面白いですね♪
“うまくいかない”を言い換えると“循環していない”とも言えるでしょう。
お金もエネルギーも循環するからこそ活きるのです。
それは滞りなのか、流れ過ぎなのか、流れなさ過ぎなのか、そもそもそれ自体が無いのか、いろいろな視点から自分を振り返るといいでしょう。
精神分析2024年度。
5月に募集予定です。