「孤高の」とも「悲劇の」とも言われる彼の、枕ことばに必ず続くのは
「天才」のふた文字でした。
彼の名は、マービン・ゲイ。
マーヴィンは、ワシントンDCでキリスト教の一宗派、ペンテコステ派のカりスマ的牧師としてその名を知られた父親の元に生まれました。
彼はそんな強烈な個性をもつ自信家の父の影響の元、その命令に服従することを強いられながら成長しました。
そのため彼は常に自信なげで不安定な精神状態の子供だったといいます。しかし、そんな精神的弱さと引き替えるかのように、彼には多くの才能が与えられていました。
歌やピアノ、ドラムスなどの音楽的才能だけでなく、アメリカン・フットボールなど運動のセンスもずば抜けていました。
しかし、プロ・スポーツの選手になる夢は、父親の反対で早々と絶たれていたため、彼はそのはけ口を音楽に求めるようになって行きます。
そして、「聖なる父」への反抗の手段として、「悪魔の歌」R&Bにのめり込んでいったのです。
学業を終え、空軍に入り除隊した後に彼は、ドゥーワップ・コーラスグループの一員として活動を開始します。いくつかのグループを渡り歩くうちに実力をつけた彼は、デトロイトで公演した際に、モータウンレコードの社長である
ベリー・ゴーディ・ジュニアにその才能を見出され、同レーベルでソロシンガーとしてのキャリアを踏み出すこととなります。
やがて、ソロシンガーとしていくつかの作品を出すうちに、少しずつシングルの売上も伸び始め、また、社長の実の姉であるアンナと結婚したことも弾みとなり、数々のヒットシングルを生み出しました。
フランク・シナトラやナット・キング・コールの洗練さと、ゴスペルの影響を受けたサム・クックやジャッキー・ウィルソンの力強さを兼ねそろえた彼の資質は、モータウン所属の歌手の中でも、とりわけ高い人気を誇ることとなったのです。
特に1960年代の中期で彼の人気を決定付けたのは、同レーベル所属歌手のタミー・テレルとのデュエットでした。
息の合った二人のデュエットは高い人気を誇り、"Ain't No Mountain High Enough"や"Ain't Nothing Like the Real Thing"などの現在でも愛されつづける名曲を数多く世に送り出しました。
しかし、タミー・テレルが脳腫瘍で夭折したことがきっかけで、一時期歌手活動を休止してしまいます。パートナーであった彼女の不在と共に、刻々と変化する時代に対して、自分が今までの持っていた音楽性に疑問を持ち始めたことも大きな要因でした。
そのせいか、彼はマリファナだけでなく、コカインやヘロインなどにも手を出していました。
しかし、彼の「天才」に再び火をつけたのは、「新しい音楽を創り出したい」という強い創作意欲だったのかもしれません。
持ち前の完璧主義が復活し、作曲、アレンジから演奏まで、プロデューサーとして徹底したコントロールがなされます。
そして1971年、アルバムWhat's Going On『ホワッツ・ゴーイン・オン』を発表します。
華麗で美しい楽曲と隙のない緻密なアレンジによる音楽性は絶賛を受け、アルバムと共にシングルで発売されたタイトル曲も大ヒットを記録します。
音楽以上に人々に衝撃を与えたのは、このアルバムが、ソウルのアルバムとしては初めてと言っていいトータル・コンセプト・アルバムで、ベトナム戦争、公民権問題だけでなく、環境問題という未だ取り上げられていなかった分野まで見つめた画期的な作品だったからです。
それは、不安に満ちた地球の未来を見据えるアルバムでした。
このアルバムについてモータウンは当初、発売に消極的だったといいます。なぜなら、それはあまりに政治的であり、モータウンという企業自体のイメージをも変えてしまいかねない、と考えたのです。
しかし、その不安はすぐに吹き飛んでしまいます。アルバムは、モータウンの歴史上最大のヒット作となったのです。
そのおかげでモータウンは再び時代の最先端、ニューソウルの流れをリードする位置に立つことができたのです。
ロック音楽雑誌の最高峰、ローリング・ストーン誌は、70年代を代表する
ベスト・アルバムのトップに、ロックのアルバムではなく、ソウルのアルバム、"What's Goin' On"を選びました。シングル盤が中心だった黒人音楽の世界に、一つのテーマ、特に社会情勢などを元にしたアルバムを制作することは画期的なことだったのです。
しかし、ここから彼の物語は悲劇へと向かって行くことになります。
きっかけは、17歳年上のアンナとの離婚です。1978年発売のアルバム「ヒア・マイ・ディア(離婚伝説)」は、その売上が離婚の慰謝料に充てられましたが、彼にとっては金銭的な問題よりも、精神的ショックの方が大きかったようです。再び、彼はドラッグの乱用と精神の崩壊への道へと歩みだしてしまいます。彼はその財産をすべて失い、一時はヨーロッパに脱出していました。(この時生まれたのが、最後の傑作「セクシャル・ヒーリング」です)。
しかし、そんなあまりに繊細な神経は、逆に女性ファンの母性本能をくすぐり、彼のカリスマ的な人気を支えていたのも事実でした。
こうして、彼は微妙なバランスをとりながら、かろうじてアーティストとしての活動を続けていたのです。
そして、そんな精神状態の中、彼はある日父親と大喧嘩となり、彼と同じように精神錯乱状態に陥っていた父親に射殺されてしまいます。
それは、1984年、4月1日。彼の45歳の誕生日前日のことでした。
硝子のような魂は、精神的な苦しみと闘い続けることで、
美しいソウル・ミュージックを生みだし続けましたが、ついにその苦しみから解放されたのでした。
マーヴィンは最期の日々、コカインによる妄想の中で聖書を広げ、
繰り返しある詩篇を読んでいたことが友人の証言でわかりました。
麻薬に溺れるマーヴィンの身体を心配する友人に彼は聖書を開いて、
ここが説得力のある言葉だと言いながら読み始めました。
『一万人の天使が周りにおられ、傷つかないように守ってくれる』
その言葉を信じているから傷つかないんだ。
"What's Goin' On"のジャケットで、彼が見つめていたのは、
すでにこの世界ではなかったのでしょうか。
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