6月に光免疫療法が適応可能かどうか聞きに行った病院で、そろそろ根治治療を真剣に考えません?と言われ、今なら、まだ手術が可能だからとのことでした。よって、光免疫は却下された形になった。今回の抗がん剤治療がだめなら、その他適応の抗がん剤はないと言われてはいました。
初めて、このままだと余命は来年の春までと告知されました。
死は春だけど、それまでの間には激痛がはしり、顔が変形し、目は10月ぐらいで失明すると言われた。初めての告知でした。
今まで、手術を避けていた理由の1つとして、危険範囲を超える放射線量を照射しているため、傷口の治りが極端に悪いか、治らない可能性、最悪の場合、出血が止まらなくて再手術なんていうこともあるようで、手術をしたほうが危険性が高い状態のため。
そして、皮膚が皮膚繊維化・瘢痕化を起こしていて、手術前は口に指1本分しか開かない状態。
手術開始
手術前日、思いのほかよく寝れました。手術前日は、緊張のため寝れない人が多いそうです。
僕は、覚悟を決めてしまえば、後は成り行き任せの性格です。
また、フォロー者の応援もありまして。
手術室に入り、点滴の針を上に刺し、麻酔注入。多分1分もたたないうちに、記憶なし。
そして、記憶を失った時点からすぐに起こされた。
初めに、ボ~とする頭でやったことは、左目の瞼を閉じました。でも、見えます。
右目は無事でした。その後、手術時間は8時間4,50分だったような声が聞こえました。
その後、ベットを移され病室へ向かう途中で、記憶がなくなり、また寝いったようです。
手術終了後
手術翌日:
鏡を見たら、鼻がガーゼで覆われ、顔には縫った後もあり、やはり、口の中からのトライは難しかったようでした。
予想はしていました。癌が予想以上に増殖していたか、皮膚が皮膚繊維化・瘢痕化で固くなっていたかの要因で口の中からのトライはやめたのだろうと推察します。
点滴、心電図、排尿管、足をマッサージする機器(血栓ができないように)、上顎洞と鼻にガーゼが詰め込まれていました。
口呼吸しかできない。。。
喉が渇いた。水を飲んでもいいですか?と聞くも、ダメです。
手術2日後:
手術3日後:
とりあえず今日は疲れたので、ここまでにしておきます。
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