メッセンジャーが予告する。





アドレシーは予期する。





メッセンジャーは、

アドレシーの予期を予期する。





メッセンジャーは、

その予期に応える準備をしてパフォームする。





アドレシーは、予期どおりの展開のとき快の感情を得る。





パフォーマーは、アドレシーの予期を逆手にとって

予期を裏切る行動をする。





アドレシーは、この想定外を不快に思わないとき

強力に感情を揺り動かされて感動を得る。






さて、「音楽の科学:フィリップ・ボール著」に

音楽心理学の先駆者カール・シーショアの言葉が載っています。






「音楽における表現の源泉は、声楽においても 器楽においても、

 純粋さ、忠実さ、正確さ、完璧さ、厳密さ、均一さ、

 精密さなどからの逸脱にある。

 その逸脱から無限の表現が生まれるのである。

 それこそが、美を創造し、感情を伝える媒体だと言ってもいい。」






メッセンジャーから何がしかの予告を受けたアドレシーは、

期待の気持ちが大きければ、その未知の体験を先物買いします。






先物買いは、期待通りかどうか確実でないので

実際の場面で、予期したとおりに進んでいけば

予想的中の効果によって感情が高まります。






コトが予期どおりに進んでいくと、

アドレシーは、次の展開が予測できるようになっていきます。






同じように予期したとおりに進んでいくなら

予定調和といえそうな展開・・






実際の次の展開は知らされているわけでもなく

そのようになる保証はどこにもないのに、

予想通りにコトが進んでいくと

結末を知っているドラマを再生しているように

ストーリーを見通している錯覚に陥ります。







その当然とみたストーリーから逸脱する時

世界は変わる。






一定の規則にしたがって進行していく中

そのパターンから逸脱する時、景色は変わります。






実は、パフォーマーは、

予定調和を作り上げていくんです。





予期していたものを提供し、

まずは、予想的中の満足感を





次に、アドレシーが予測できるストーリーを

繰り返しの効果で作り出して





最後に、その予測を逆手にとって

予測の裏切りという表現で感情を揺さぶる




全体を計算して

こういったことを試みているわけですね。






パターンを自ら生み出し、そこからはみ出る。






表現力は「逸脱」することで無限になっていくと

カール・シーショアは言っています。





そのためには、

そもそも、表現の土台となる自分なりの個性、カラーが必要で

何もないところから逸脱することは出来ませんよね。





表現のスタイルがある程度できていなければ、

逸脱すらできません。





まず、自分のカラー、

そして、その法則から、はみ出てみる。






表現力を磨いていく鍵は、





規則と不規則

原則と例外

予想通りと予想外

パターンとアクセント






つまり、安定した土台から逸脱することなんだと・・・・

思った次第です。