少し疲れがたまっていて

風邪気味になっています。





さきほどまで、

パソコンに向かって、資料をつくったり、事務作業をしながら、

合間に「コスタリカ」を飲み




また、その合間に

「マンデリン」を飲み、




また、その合間に、

「エルサルバドル」を飲む、





というすごし方をしていました。





今日のコーヒーは、

どれも似たような味、同じ味のように感じています。





倦怠感があって、風邪気味だとしても、

事務作業はできていて

自分自身はしっかりしているつもりだし、

見ている景色は、いつもの景色のつもりです。





それなのに、感覚器官は、味わいを没個性にした。





いつものように抽出されているはずの

それぞれの個性は、感じ取れないでいます。





認識は、客観をそのまま、とらえるのではなく、

それを現象として主観的にとらえる。






いつもとだいたい同じように焙煎、抽出されたはずのコーヒーは、

鈍った感覚器官を通して、そのようなコーヒー(という現象)として、

どれも似たような味わいのコーヒーだと、認識したようです。






認識のメモでは、





「認識は、客観をそのまま、とらえるのではなく、

それを現象として主観的にとらえる」





ということの成否を、体験談を通して書き残していこうと思っています。