年始にBSジャパンで放送していた
「池上彰の現代史講義」
録画してあったもののうちの
幾つかを昨日見ました。
こんにち見聞きするニュースの理解は、
現代史の理解でより深まる、というのが
この番組が提案するもの。
1945年以降の冷戦構造の世界で、
人間がどれだけ愚かなことをしてきたのか
それが、現代の社会問題と、どう結びついているのかが
分かりやすく講義されていました。
西と東の勢力争いを軸に
・スターリンの独裁
・朝鮮戦争
・中国と台湾
・ベトナム戦争
・毛沢東の文化大革命
・カンボジアのポル・ポト
などなど・・13回の講義・・・
どの講義でも共通していたのは、
権力のために、とんでもない数の人間が殺されてきた
ということでした。
たった一人のカリスマが、
国を・・・国民を破滅の道に向かわせてしまいます。
また、大国の自分勝手な思惑が
小国を踏みにじっていきます。
普通の人間が普通に考えれば
そんなことできるわけない、ということが
そういうひどいことが・・・
頭のいい立派だとされている人間によって
作戦室や会議室で決定されていきます。
そこでは、理想の実現のためなら、
手段は選ばなくてもいい、という考え方が
彼らを支配しています。
現実は無視して・・・
普通の人間が普通に考えることを無視して
頭の中で作り上げた彼らにとっての素晴らしい理想を
誰にとってもいいものだとし、
その理想郷を一挙に実現しようとし、
邪魔するものは皆殺しにしてしまいます。
偏った思想は、権力と結びつくと
ほとんど決定的なまでに暴力的になる。
例えば、知識人はいらない。
みんな農業を、肉体労働をするのが良い。
こんな思想が理想だとする権力者がしたのは
学校の先生を皆殺しにすること・・
都市から荒地に強制移住させ
農業をやったことのない人たちに、作物を作らせることでした。
普通の人間が普通に考えれば
そんなことできるわけない、ということが
理想のため、ということで実行されていきました。
農業をやったことのない人たちの作業で
現実に大飢饉が起こっても
その現実の方が間違っていると解釈します。
このように、
描いた理想に固執し妄信的に追いかけると、
現実に起こっていることを見ることが出来ません。
絶対化してしまった理想が現実を壊してしまいました。
では、理想などないほうがいいのか。
そんなことはない、
ないよりあったほうがいい、と考えるのは
きっと僕だけではないはずです。
たとえ、理想の実現のために多少の犠牲が発生するとしても
現実を放置することの損失を考えたなら・・・という
発動の理路だって、それなりに納得できるものです。
現実を変えるのは、いつだって、夢や理想だからです。
しかし、理想が人を不幸にしてきた歴史的事実が厳然としてある。
歴史の因果関係はすでに、
あれこれと説明されていると思いますが、
あえてこの不一致を僕なりに考察すると、
高邁な理想、完璧に見える計画、非の打ち所がないとした理論
それを実行する不完全な人間
完全と不完全のミスマッチが生んだ悲劇です。
合理的な計画が不合理な人間に実行されている
そういう認識をもとに進捗を評価しなくては危険なんだと思います。
まさに、権力者自身が、
自分の嫌いな人間に権力が渡るくらいなら
世の中が破滅してしまった方がマシだ、という
不合理な活動でもって
不完全な人間の象徴になっています。
理想と現実
その間には、適度な 「あそび」 がいる。
つまり、理想はあくまでも理想で、
現実と相談しながら修正していくものですし
それはまた、
階段を上るように、徐々に近づけていくもので、
一挙にやろうするものではない・・
また、双方の関係では、現実が土台になっている。
理想はときに飛躍するけど、
もし、その土台に着地できそうにないなら、
下を見てその位置を確認しなければいけない。
足場を確保して作業しなければならない。
頂上の360度のパノラマと同時に
自分の足元も見なければならない。
つまり、
理想は現実のフィードバックによって進めていかなければならない。
そういうことを、僕は、この番組から汲み取った。