モスコウィッツという
食品業界である画期的な発見をした人の考え方です。





これを考えてみます。





これは、望むものが何か分からないという人に
どんなものを提供するか
という問題を扱うことになります。





どんな領域の事柄であれ
心から望んでいるものとはこれこれです、
と、はっきりといえる人は少ないのではと

個人的には思っています。





例えば、食品の味の場合、
具体的に望んでいる味を聞かれたとして
自分がどんなものを望んでいるのか
そもそもそれ自体がはっきりしていない食品の方が多い。
だから、しどろもどろになるだけ・・





コーヒーの味についても、
好みの味でさえ相手に分かるように

説明することができません。






この辺のことを
モスコウィッツはもっとはっきりと言っています。







「舌が欲しいものを頭は知らない」

「自分の望みの味が存在しない時には、

自分の望みの味がわかっていない」







何が欲しいか分かっていないというわけですね。






ここまでのことから、

次のような問題を提起できるかと思います。





何を望んでいるか分からないまま、

どうやって望みを獲得するか、

何を望んでいるか分からない人に

どうやって満足を提供するか、です。






どうにもならない・・

というのが第一印象ですが・・





まず、モスコウィッツは

消費者に聞いた答えが必ずしも

心から望んだものとは限らない、

という前提からスタートしなければならない

といっています。






前述のとおり、

誰もが、本当は何が欲しいのか実はよく分かっていない

ということを示す食品検査会社における統計があります。

(全体的な傾向です)






だから、私たちは時として

画期的な新商品に出くわし

「こういうのが欲しかったんだよ」と

膝を叩きます。






この望まれるだろうものを創造する発想・手法を

つくりだしたのがモスコウィッツなのですが

ここにヒントがあります。






つまり、それは、まだ誕生していない可能性がある。







もしくは、、めぐり合っていないということかもしれない。







このようなわけで、食品会社は

望みってこんな味じゃないの?という提案として

次々と新商品を登場させる、ということのようです。






同じように、

新メニューを提案するということは






「どんなものが欲しいのか

説明はできないのだけど、とにかく喜ばせてくれ!」

というお客様、消費者の満たされていない望みに

焦点をあてることです。







食品に限らず

あらゆるモノ、サービスを提供する者は

今現在満たされていない人に





「どんなものが欲しいんですか?」と





聞くことの有意性を考えなくてはいけない。

それは説明しきれるとは限らない。





それは提供側が

マトリクス上の

満たされていないゾーンを使って

創造していく作業から可能性が生まれてくるもので・・






質問の仕方は

「こんなのどうですか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・だとおもう。








本当の望みは実はうまく説明が出来ない。







それは・・・・そう・・・・

提案を受けて体験してみてはじめてわかるのもの・・

「これだよ、これが望んでいた感じだよ!」とわかるもの。







本当に望まれるもの、

これは体験してはじめて、それだと分かるものだから

提供側は何が欲しいんですか?と聞くこと以上に

提案力を磨くこと、

想像力を働かせて内容を創造すること、

こういうことが、やっぱり必要になってくるのだと思うです。