いつもと違う場所で
サイフォンを手際よく繰り返し実演するには
シュミレーションしておく必要があります。
例えば、
サイフォン抽出の華麗なところ以外の
コーヒー滓を捨てて新しくセットしなおすようなところ・・・
そのような部分は注目するようなポイントではないので、
できるだけスマートに行えるようにしたい・・
スペース確保と道具の選択・配置
なんでもそうだと思いますが、
準備でほとんどが決まります。
準備がよければ、スムーズに進んでいきます。
準備不足の場合は
いったん歯車が狂いだすと、どこまでも狂って自滅していきます。
何度も自滅してきました。
この、やり始める前に、ほとんどが決まるというのは、
不思議ですけども、実際そうです。
それに準備不足は
自分が想定したとおりに何が何でも進めるような展開になり、
よくなされた準備は、
テーマを守りながらも講座全体を自由に展開させます。
だから結局のところ
満足度の高い講座とは、
進行するもののカリスマ性ではなく
全体の雰囲気が持つ方向性を感じて
その方向に案内できることだと思っています。
その場、その場の持つ雰囲気があり、
それは生き物だから、
知覚できなければいけない・・・空気を読む力というのですか・・・
ということは、
想定した事柄を、ただ、その通り実行するだけの講座が
満足をもたらすとはいえない、ということになります。
その想定の範囲を
実行予定のものの何倍にも設定しておかなければならない
ということになります。
予定する事柄の40倍は準備しなければいけない。
忘れてしまったのですが、
確かカーネギーの本でそんなことが書かれていました。
自由にいきたい方向にいける講座とは
進行する者の、豊富な引き出しが前提になっている・・・
そして、それが余裕になって、
リラックスした雰囲気をつくることになる・・・
さらに、その進行する者がつくる雰囲気が、
全体の自由な雰囲気をつくることになる・・・
そして、その自由さが、
本来いきたかった方向を教えてくれることになる・・・
そこではじめて、その方向に舵をきって、案内することが出来るようになる。
しかし、そうしてやっと、
その講座が進行する者が主役ではなく
参加される方が主役となる可能性が生まれたに過ぎません。
行きたい、
その地点まで案内できたら・・・・
その時、本当の意味で
参加される方が
講座の主役になれる・・・・
ということなのだと思う。
1回1回が挑戦になる・・・・
しかし、これこそが、おもしろいところです。