【1984年オリンピック女子シングル 銅メダル】
【1985年世界選手権女子シングル 銀メダル】
経歴・・・・・Ranking
インスブルックオリンピック男子シングル銀メダリストのウラジミール・コバリョフに師事。
1978年世界ジュニアフィギュアスケート選手権で2位となり、同世代のエレーナ・ボドレゾワが怪我に悩まされるようになってからはソ連フィギュアスケート界期待の星となった。
1980年レークプラシッドオリンピックに出場し16位となった。
1981年の世界フィギュアスケート選手権では規定で13位だったがショートプログラム、フリーで好演技を見せて4位に入った。
1982年秋には今日の女子フィギュアスケートではあまり見られなくなっている3回転-3回転のコンビネーションジャンプを決めた。
彼女は競技以外でも話題を振りまき17歳の時には当時20台後半だったコバリョフコーチとの仲が取りざたされた。
このためソビエトスケート連盟は彼女を1981-82年から2シーズン国際大会出場停止処分を下したが、処分明けの1984年サラエボオリンピックで銅メダルを獲得。
このメダルは、ソビエト連邦の女子シングル選手が獲得した唯一のオリンピックメダルとなった。
1985年の世界選手権では2位に入り、1988年カルガリーオリンピックでは規定で1位となったもののショートプログラム、フリーで失敗し7位に終わった。
オリンピック後に競技生活から引退しアイスショーへの出演やコーチを行うようになった。
2001年12月21日、自宅アパートで彼女は肉切り包丁で刺されて亡くなっているのが隣人によって発見された。
彼女の死後、ロシアフィギュアスケート協会のチェアマンは彼女がアルコール依存症にかかっていたことを明らかにした。
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