【1988年オリンピック女子シングル銀メダル】
エリザベス・アン・マンリー4人兄弟の中に生まれ他の3人はいずれも男兄弟であった。
軍人だった父親の影響を受けて幼い時からスケートを始めた。
9歳の時に一家はトレントンからオタワに引っ越した。
その後両親は離婚し彼女は母親に引き取られた。
1981年世界ジュニア選手権で3位になった後、1982年世界フィギュアスケート選手権で13位となった。
しかし翌シーズンオタワからニューヨーク州レークプラシッドに練習拠点を移した彼女はホームシックにかかり絶不調となってしまいカナダ選手権ではメダルを逃した。
しかしピーター・ダンフィールド、ソーニャ・ダンフィールド夫妻のコーチを受けて1984年のサラエボオリンピックや世界選手権にも連続出場を果たした。
1987年まではオリンピック、世界選手権でメダルを獲得できなかった。
1987年の世界選手権では規定とショートプログラムが終了した時点では優勝争いをしていたもののフリーの演技で失敗し4位に終わった。
1988年地元カナダのカルガリーオリンピックでもメディアは彼女がメダル獲得することを期待せずスポンサーもつかなかった。
風邪をひいていたものの規定とショートプログラムを終えてカタリナ・ヴィット、デビ・トーマスに続いて3位につけたがメディアはヴィットとトーマスが共にカルメンを使用曲にしていたことからBattle of the Carmens(カルメン対決)と称して彼女は注目を浴びなかった。
しかし彼女はフリーで1位となる演技を見せて銀メダルを獲得、カナダ中が熱狂した。
オリンピック後の世界フィギュアスケート選手権でも2位となった。
アマチュア引退後は、アイスショーなどに参加しつつコーチ兼コメンテーターとして活躍している。
1990年に『Thumbs Up!』、1999年に『As I Am: My Life After the Olympics』というタイトルの自叙伝を出版した。
2006年8月、コクレーン出身の元ジュニアアイスホッケー選手と結婚し現在はオタワに住んでいる。
1988年にカナダ勲章を受章している。
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