これはフィリピンパブやクラブが全盛期の頃、
フィリピン人タレントの来日が年間5~6万人と言われていた一昔前の話で、
いつもの様にタレントの オーデションでマニラに行った時の事だった。
プロモーターのBUーちゃんと二人で休暇も兼ね10日程の日程だった。
BUーちゃんは当時、フィリピンタレント招へいで
お世話になっていたプロダクション、Y企画の社員で
旧知の仲でもある。
オーデションのほとんどはフィリピンサイドのプロダクションに
出向いて行うのだが、多い日は300人~400人を見て回る事が有る。
一日3~5か所、ほぼマニラを中心に移動するのだが
相変わらずの交通渋滞でそれもままならない。
大きなプロダクションになると、朝から一日
オーデションのブッキングを入れるので、前の人が終わるまで
待たされる事もよく有り時間通りに始まって、終わる事などまず無い。
移動中の車から・・・これほぼ毎日。
プロダクションにはインターナショナルとローカルが有り、
インターは、その名の通り外国にタレントの派遣手続きができる
プロダクションで、それ以外がローカルと言われている。
当時はフィリピン各地に数多くのローカルプロダクションが有った。
5、6人から100人以上の人材を抱える所も有り規模は様々だ。
そこでダンサーとシンガーに分けられ、
それぞれが日々トレーニングに励むわけだ。
元々、芸能経験の有る子などほとんどいないわけで、
ズブの素人が一から勉強する事になる。
どこの街でも見かける普通の子が
ほんの数カ月のトレーニンでタレントに変身?するのだ。
そして日本のクラブやホテルで
ダンサーやシンガーとしてショーを演じるわけだが、
それはほとんどが建て前でホステスとして接客に
従事していたのが実状だ。
そんな何万人ものインスタント芸能人が
日本に旅立つのを夢見ながら
オーデションで自分が選ばれるのを待っていた。
気のせいかなあ。
最近はきれいな子が増えたような。
その日のオーデションも無事に終え、ホテルに7時前に
戻る事ができた。
当時、マビーニ通りに有るホテルSOGOが、
俺の常宿だった。
地元ではよく知られたホテルだが
当時の日本の観光ガイドは絶対勧めない。
だから日本人はほとんど泊らない。
2階がラブホテルになっていて昼間はフィリピン人のカップル
がよく利用していた。
フィリピン人もなかなかお盛んで
よく満室になっていたが、そんな時は
待合室で何組かのカップルが順番待ちをしていた。
レストランやラーメン屋での順番待ちは日本でもよく見かけるが、
ラブホテルで、しかも待合室でというのは
考えられない光景だろう。
俺なんか恥ずかしくて1秒たりともそんな所にはいられない。
どんな顔して待っていればいいのか想像もできない。
「ボクたちもこれから××致すんですが、時間があまり無いので
良かったら順番を交代してくれませんか?
ボクすぐ終わるんで。」
「あーいいよ。うちらは××そんなに急いでないから。」
なんていう会話が有ったかもしれない。
2階に行くにはホテルの横に専用入り口が
有ったので3階以上の普通の宿泊客と
鉢合せすることも無かった。が当時は工事中のことも有り、
一階ロビーの一部が簡単な仕切りで待合室になっていた。
覗くわけではないがたまたまかわいい子が
目にはいったりすると、つい相手の男の顔も見たくなる。
俺もまだまだ未熟者で「うらやましいなあ。」
と思ったりもする。
マカテイに向かった。
これから日本料理店「さかなや」で皆で食事をする事に
なっていた。
店主のEさんとも付き合いは古く、店がはねた後
合流しては一緒に呑みに行くいい仲だった。
翌日はオフだったので「さかなや」で軽く腹ごしらえをして
夜の街にくりだす事と相成ったわけだが特に気合いが入っていたのがBU-ちゃんとKOMEちゃんの二人だった。
KOMEちゃんはマニラ在住の日本人で
BU-ちゃんのアシスタントをしていた。
今回もドライバーとして俺たちに同行していた。
この二人の共通項はただ一点、無類のオナゴ好きである。
そして当然のごとく超一流?の度スケベ万だった。
こんな二人と長い夜が始まった。
そして俺は一人の少女に出会う事になる。
・・・・continue