8/23 阿蘇② | 【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

【プー太郎旅日記】~ シンクロニシティと神様と、陰謀とアセンションと、、 ~

東京出身40代の独身男が、震災をきっかけに、それなりに給料の良かったSE職を辞めて世界の陰謀論にのめり込み、神社巡りの旅に出掛けたら、次から次に不思議な偶然に出会ってしまうというドキュメンタリー。それらはただの偶然か、それともすべて必然か!?

8月23日

いよいよ、だ。
幣立神宮五色人祭当日。

実は、始まる時間が分かっていない。インターネットでは調べたが、それらしき情報を見つけることができなかった。
昨日、空港からの「野田タクシー」でご一緒した女性も正確な時間をご存知なかったが、とにかく午前中ということだったので、出来るだけ早めに行くのがよかろうと思い、高森のバスセンターを9時3分に出るバスに乗ることにした。逆算すると長陽駅を7時半頃発の列車に乗らなければならない。長陽から高森までは30分ほどしかかからないが、なにぶん列車の本数が少ないので、この早い時間になってしまう。宿のお父さんが、ありがたいことに、車で駅まで送ってくれるとのことなので、宿をでるのは7時15分ぐらいか。

ということで、宿では少し早めの朝食を頂いていた。出発出来る準備をして、6時45分ぐらいにダイニングに降りる。あ、部屋は二階だったから、降りる。

野わけの朝食は山盛りの青野菜とトマトにゆで卵がついてくる。塩とオリーブオイルとレモンで好みの味を整えて頂く。新鮮な野菜が最高にうまい!
さらに、ドリップしたてのコーヒー。お父さんがその場で焼いてくれるトーストにお母さん手作りのブルーベリージャムをつけて食べる。
朝のフルコース完成。

食事もほぼ終わった7時過ぎ、宿泊客の女性が朝食に現れた。なんと、彼女も幣立のお祭に行くという。知り合いの車が宿まで迎えに来るそうだ。僕は電車とバスとで行こうと思ってますという話をしたら、一緒に行きますか?とのお誘い。来た!そりゃ~もう是非に!!
ドライバーをされるお知り合いは野わけのお母さんともお知り合いだそうで、お母さんから連絡頂いた。電話はつながらず、メールの返信も返ってこなかった。
このとき、7時10分ぐらい。電車とバス乗り継いで行くならもうタイムリミットだ。
車に乗るのは彼女ただ一人だから問題ないでしょうという話もあり、運を天に任せた。7時半の電車は捨てた。
同乗を拒否されたらそれはそれで別の流れがくるのかなと考えたが、乗せてもらえるという妙な安心感を感じていた。
そして、先方から了解した旨のメールが届く。完璧。

ということで、時間のできた僕は、しばらくダイニングに居座り続け、テレビを観ながら皆さんと会話を楽しんでいた。
これから大分から四国に渡りますという話をしていると、大分の国東半島は四国から影響を受けた修験道の地で、岩の壁面に仏様の彫刻をした場所があるとか、宇佐神宮がいいなどの情報を頂いた。そうこうしてるうちに、別の男性客が現れたが、この方は四国に先月行かれたそうで、うるう年の今年は、八十八箇所のお遍路が通常とは逆回りになるという情報を頂いた。
すごい。これからの行き先に関する情報がものの見事に出てくる。しかも旅の順番に沿った形で出てくる。面白いぞ。
昨日の野田タクシーから始まった偶然の流れは依然続いている。
これがスピリチュアル系の分野でよく言われるシンクロニシティってやつか、でもまあ、この程度の偶然だったら続かなくはないよな、と思っていたとき、遂にお迎えの車がやって来た。
ここからこの旅が、いや、ある意味、僕の人生が一気に動き出すことになる。

8時半ごろ、「どうもー。」といって現れた道先案内人は、小太りに長めの髪、Tシャツにジーンズという出で立ちのごく一般的な青年だった。通称「ワンちゃん」(仮名)。
僕を誘ってくれた同宿の女性は通称「コガネさん」(仮名)。
この二人と僕の三人で車に乗り込む。いよいよ幣立神宮に向け出発だ。
本来ならこのツアーには関西からのグループが参加することになっていて、野わけにも宿泊する予定であった。しかし、この団体さんが直前でキャンセルとなり、車の座席はガラガラ。僕の座席が確保されたというわけだった。

車が走り出すと、ワンちゃんが僕に尋ねた。
「幣立の後はどうしますか?」
僕「できれば終日同行させて頂けないでしょうか?」
ワン「いいですけど、幣立のお祭のあとはしばらくごみごみすると思うので、長居はせずにすぐ別のお宮に向かいます。高千穂にある荒立神社と秋元神社です。あまり一般的な神社ではないので、どちらかというと上級者向けと言った感じですけどいいですか?」
僕「はい。構いません。むしろその方がありがたいです。」
自分では覚えていなくて後日ワンちゃんから聞いたのだが、その後僕が「僕は神様に会いに来たんです。」と言ったそうである。
また、そのときは気づかなかったが後で確認すると、荒立と秋元は神社学の中村さんが高千穂で行くべしと教えてくれ、僕がメモしていた神社だった。
幣立神宮と日を別にしてレンタカーで高千穂を周ろうと思っていた僕には完璧な一日コースがそこには用意されていた。

幣立への道すがら、ワンちゃんは自分がツアーガイドのようなことをしている理由を説明してくれた。
彼も数年前までは大手の電機メーカーで働いていたそうである。子供の頃から霊感のようなものはあったそうだが、26歳のときに突然神様からのメッセージが降りて来て、神のお役目を果たすことになったという。
具体的には、日本全国の神社に行くようメッセージが来て、その場所で祈りを捧げるのだそうだ。ときには日時指定のものもあり、急な旅立ちとなることもあったそうだ。
当然普通の会社勤めは無理な話で会社は辞めることになった。
まだ関東・東北には行っていないようだが、名古屋や静岡あたりまで行かされるらしい。富士山にも二度登らされたという。
ビジネスではないので当然経費は自腹。無職には厳しいお役目である。
当然毎月金欠。妻子持ちの彼は、思い余って仕事をしようとしたこともあるが、毎回応募した時点で募集完了ということになるらしい。しかし、金銭的に厳しいときには、いつも何処かから絶妙のタイミングで助け舟が出されるという。
今回の幣立ツアーも神のお役目の一つで、自家用車を使って興味を持った人々をご案内しているそうである。ビジネスではないので当然ツアー料はなく、善意の心付けがあれば頂くといった形のようだ。
一般的な価値観で考えたら、なんじゃそりゃ、である。サッパリ意味が分からない世界だった。

ワン「阿蘇の後はどちらに行くんですか?」
僕「基本的には大分を経由して四国に出てそこから紀伊半島に行きます。熊野と伊勢神宮あたり行ってから名古屋に寄って、そのまま東京帰る感じかなぁと思ってます。どこかお勧めの場所ありますか?」
ワン「レイラインですね。弊立から剣山、伊勢神宮、富士山を通って鹿島神宮まで日本のレイラインが通っています。パワースポットが並ぶラインですね。佐藤さんはレイラインに沿って進むんですね。四国は剣山ですかね。あとは伊奘諾神社、淡路島のね。名古屋は熱田神宮ですかね。」
レイラインか。僕は興味のあるところを最短距離で進もうとしていただけだったが、結果的にそういうことになっていたようだ。
ワン「九州では他に回られないんですか?」
僕「長崎に行こうかと思ってます。」
実は、旅に出る2日前に会った友人から、九州に行くなら長崎の「あんでるせん」という超能力を見せる喫茶店に行った方がいいと言われ、その夜意識せずにリンガーハットで長崎チャンポンを食べたことに気づいたとき、「やっぱ長崎行ったほうがいいか、でも、ルートからズレるから、移動がめんどくさいし、日程が延びるな」と思っていた。
ワン「長崎行くならあんでるせん…」
僕「出たぁ!」思わず叫んだ。
はい、期待通りの展開。思いつきで行き先を決める旅、長崎行き決定の瞬間です。
42年間の人生で一度も聞いたことがなかったサイキック喫茶の名前を4日間で2度聞いた。呼ばれてます。

あと、九州ではもう一つ、鹿児島の知覧という場所に行くかどうか迷っていた。ここは戦争末期に特攻隊の飛行機が飛び立って行った飛行場があった場所だ。でも、鹿児島にも行くとなるとさらに日程が延びる。お金もかかる。どうしたものか…。

そうこうしているうちに車は幣立の地に到着した。ワンちゃんが連れて来てくれたのは、正面駐車場ではなく人影の少ない山の中腹だった。

いつの間にやら外は雨。
小雨でも大雨でもない静かな雨がしっとりと大地を濡らしている。
車を降りると中腹から豊かな森を見下ろす格好となり、その方向に向かって小さな鳥居が立っている。無意識に鳥居に向かい手を合わせる。大きく息を吸い込む。
すると数秒後、胸のあたりが大きく開きだす感覚に襲われた。次の瞬間、閉じた瞼からは涙が溢れ出る。
自分でも何が起こっているのかサッパリ分からない。
綺麗な森はこれまで何回も見たことがあったし、鳥居を見るのも初めてじゃない。
悲しいことを思い出したわけじゃないし、涙を流すほど嬉しかった記憶を辿っていたわけでもない。ただ、目を閉じて、手を合わせただけ。
涙は止まらない。心が震えている。いや、魂が震えているのか。
心の振動の出口は瞼だけではなかった。唇からは声が漏れる。
傘を下ろしてむせび泣いた。号泣とまでは行かないが、ちょっと人に見られたら恥ずかしい姿。自分では制御不可能だった。

「ゆっくり来てください」
二人は先に参道に向かった。気を遣ってくれたのだと思う。

ひとしきり涙が収まったあと、僕も参道へと向かった。でも、体はまだ震えていた。未だに何が起こったのか分からないままだったが、何か不思議なことが起こっているのは分かっていた。自分の感情では泣いていない。こんなことは人生で一度も経験したことがなかった。

参道には、信じられないほどに太く、神々しいほどに高い杉の巨木が一直線に並んでいる。その奇跡的な美しさは、想像を絶する程の長い時がここに流れ続けて来たことを僕に訴えかける。

雨に濡れた杉並木が醸し出す幻想的な空気は柔らかく優しかった。両腕でふんわりと包み込まれるようだ。その優しさにまたしても心が震える。
しかし、今回は何とか大人の自制心を取り戻し、二人に合流する頃には涙は納まった。

一体何が起こっているのか???

僕らが進んだ参道は、拝殿正面から下に延びる階段に対して横から交差する形で続いていた。参道が交差する場所には木製の大きな鳥居があり、横には高天原と金字が彫り込まれた石碑が立つ。派手ではない、しかし、威厳に満ち、かつ、優しさを感じさせる木の鳥居だ。
美しかった。
ここは、聖地と呼ぶのにふさわしい場所だと思った。

鳥居をくぐり、階段を登り、拝殿に到着。
正面には二本の日の丸の旗が交差して掲げられ、張り出した屋根の下に五色人面の写真が飾ってある。
遂にあの幣立神宮にいる。
いや、実際には、僕の幣立神宮は到着早々いきなり始まり、お宮に来る前に既にクライマックスを迎えていたから、あとはどこに行っても、聖域の空気を感じ、余韻を楽しむ過程であった。

雨はまだ降り続いていた。
コガネさんが言う。「きっと降りやむと思います。人払いの雨。迷いのある人は受け付けない。」
すべては神の計らいか。って、この十分ほどの短い間に、完全に見えない何かの存在を信じ始めている自分がいる。

まずは、お水を汲みに東御手洗と呼ばれる場所へと谷を下る。ここのお水は神聖なもので、このお水を他の土地の水に混ぜるとそこの水が聖水に変わるらしい。
水汲み場は谷間の底にあり正面は一面の神田。青々とした稲に大地と水の恵みを感じ、自然と感謝に満たされる。
感謝に満たされる??そんな感覚、そうそうないぞ。田んぼ見ただけで感じる不思議。明らかに意識が変化してる。いわゆる、覚醒?なのか。
煌びやかさは微塵もないが、本当の神々しさとはこのことをいうのではないかと思わせる景色。

谷を登りながら、境内にあるいくつかの小さな神社を参拝。中には今上天皇が参拝された形跡が残されているものもあり、このお宮の正統性を裏付けているように見える。

拝殿に戻る。
他にも何人か参加予定の方々がいるとのことで、ワンちゃんはここで待機となった。
お祭が終わるまでは自由行動ということで少し拝殿の周辺を歩いた。どこも気持ちのいい空気が流れているように感じる。
この頃からだったか、腰に痛みを感じ出した。

腰痛は二十数年前からの持病だ。数年に一度、特に寒い時期爆発するように痛みだし、歩けなくなることもあった。
4年前の夏、実は、宇宙飛行士の試験を受けようと思い立ち、宇宙の過酷な環境にも負けない身体を作るためにはまずは脱メタボ!と思い、当時流行っていたコアリズムを始めた。ラテンダンスのようなエクササイズで腰を降り、お腹周辺を引き締めるという杉本彩が宣伝してたやつだ。
しかし、その激しい腰使い?は僕の腰痛を呼び覚ました。以来、丸四年間、整体・カイロプラクティックに通い続けている。なぜかそのとき、今回は徹底的に治してやろうと強く思ったのだ。
この四年間、毎週一回、多いときは二回、三回と通院することもあったが、何しろ二十数年間の蓄積である。そう簡単には完治しない。費やした費用は既に二百万近くになっていると思う。
元々骨盤全体が右寄りに曲がっていたようであり、それとバランスを取るように上体や首の角度が少しづつ曲がっていた。なので、治療は腰だけに留まらない。腰を治すと背中に痛みが出て、背中を治すと首がおかしくなる、首を触るとまた腰に違和感が出て来るといった調子の無限ループ。ときには投げたしたくもなる。でも、いつも少しづつだけど良くなって来ているのは自分でも実感できていた。
一方で、どうしても取れないコワバリのようなものが尾てい骨周辺にあり続けており、いつになったらこいつはいなくなってくれるのか、とも思っていた。

痛み出したのはこのコワバリ君である。こいつが痛み出すと、なかなかの激痛である。立っているのもつらい。しかし、今までの経験上、これは嫌な痛みではなかった。
歪んだ身体が元の正常な位置に戻るとき好転反応が出る。この四年間、痛みが落ち着いたあとには姿勢がよくなる。今回も直感的に好転反応だと思った。それも、かなり厳しいやつ。

お祭が始まる午前11時の数分前、それまで降り続いていた雨が「定刻通り」止んだ。
お祭では、祝詞が奏上されたり、参加者全員で世界平和の祈りを捧げたり、ちょっとした神楽が舞われたりしていた。
僕の立っている位置からはそれらの様子はよく見えなかったのだが、そのことはあまり重要ではなかった。その時の僕にとっては、何が見えるかよりも、そこで何を感じるかが最大の関心事だった。
相変わらず腰痛はひどかったが、ひたすらに手を合わせ、何かを感じようとした。けど、僕の期待に反して、神様の声が聞こえて来るわけでも、頭の中に何かしらのイメージが広がるわけでもなかった。
けれど、終わる頃にはなぜかとても充実した気持ちでいることができた。

そういえば、このお祭でお話をされた宮司さんを含めた六人の方々のうち、二人の方が靖国神社に言及された。
なので、ああ、やっぱり知覧に行かなければならないのかと思った。

お祭のあと、ワンちゃんと合流。
まだ待たなければならない人がいるとのことで、しばらくは拝殿周辺を散策、その後、参加者が揃ったところで荒立神社へと移動を開始した。

移動中の車の中、ワンちゃんが言う。
「佐藤さんが泣かれるのを見ていて、僕は自分の原点を思い出していました。今回のツアーは、僕にとっては原点回帰というメッセージがあるようです。」

またこんなことも言っていた。
「神様は実在するけれども、僕らの住む3次元世界では行動できないんです。だから、人間の身体を借りて神の心を3次元世界に現すんです。自分の外にいる神様に期待していても何も起きない。人間の心を神様とつなげて、人間の手で神様の意思を実行しないといけないんです。」
おっとぉ、これは昨日のタクシーの野田さんと同じメッセージが来たぞ。表現は違うけど言ってることは同じ。
あ、そういえば、来る直前に会った、長崎の「あんでるせん」を教えてくれた友達も、人が実際に動いて、愛をこの世界に伝えて行くしかないんだって言ってた。実は彼も、相当霊感が強い。
ワンちゃんに話すと、彼は笑って「三回続いたらそれはほんとに神様からのメッセージですよ。」
この四日間という短い間に、何と三度も同様のメッセージが来た。ということは、やはり、最近スピリチュアル系でよく聞くアセンションとは、神様や宇宙人など自分の外の存在が12月末になったら「時間なんでそろそろ始めまーす」つって起こすものではなく、人間一人一人が自分の魂を磨いて、エゴに覆われた愛の心を開放して、それを形に現して行くもの、自分の内からしか起こせないものなんだと腑に落ちた。
でも、ならば、これはそう簡単ではないぞ。だって、一人一人がエゴときっちりと向き合って、それこそ落とし前つけなければならないわけだから、場合によっては辛く厳しい時間を必要とするなと感じ出していた。

話は震災へと続く。
ワン「東北の震災は起こるべくして起こっています。犠牲者の方々には失礼な話かもしれませんが、人間の心の歪みを正す地球の浄化の波が必要でした。僕らにもイメージは降りて来ていて、仲間の一人は震災を止めようと祈りを捧げに行く途中、空港で亡くなりました。自然災害には人間の力で止められるものもあるけど、止めてはならないものもある。人の心の歪みがあまりに酷ければ、神様は痛みを伴う浄化をもたらすしかないのです。これを止めようとするのは人間の傲慢。人間は自然にはかないません。」
なるほど、俺の腰みたいなもんかな?良くなるためには、一度痛みを伴う好転反応が現れる。
確かに、あの地震がなかったら、僕も陰謀論に入り込まなかったろうし、神仏など眼中になかったかもしれない。
僕「確かにあの地震がなかったら、僕は今ここにいないと思います。」
ワン「おっしゃってる意味、分かります。」

会ってから半日しか経たないが、ワンちゃんとは何か昔から知っているような親近感を感じ始めていた。
地震を止めに行って亡くなった仲間はRickyさんというそうで、彼も相当な霊力を持った人だったらしい。
しかし、地震を止めに行って死んでしまうって、ちょっとしたオカルト映画のストーリーだ。いわゆる「うさんくさい」話。
それでも、ここまでの偶然の出会いの積み重なりと幣立の涙のあとでは、そうなんだとあっさり信じてしまう自分がいた。むしろ、疑う必要を感じない感覚。
どうやらこれまで僕が知っていた世界は、本当の世界のごく一部でしかないらしい。

車は一路高千穂へ。
でも、腹が減っては何とやら。ということで、まずはランチタイム!
うまいという評判の焼肉屋「初栄」で焼肉定食を食う。バカウマ。肉がいいのが分かる。厚切りの肉が結構な量入っていて、その場で焼きながら食べる。たった1000円って、バーゲンだろ、これ。
ランチは僕ら三人に加えて、幣立から合流した「ピンちゃん」(仮名)、「タツさん」(仮名)の5人で食べた。
食事中の会話の中で、ワンちゃんがパワーストーンのブレスレットを制作・販売していることが分かった。コガネさんが購入する話をしていた。直感的に僕にも作ってくれるように依頼した。すると「実は一本は差し上げようと思っていました。では、それと合わせて二本お作りします。」とのこと。どうやら、神様から何か言われていたらしい。
実は、この日の朝、ワンちゃんには神様からメッセージが降りて来ていて、誰かと会うことは分かっていたという。その誰かに渡すよう特別仕様のブレスレットの材料を持って出たそうだ。僕が神様に会いに来たと言ったのを聞いて、こいつだと確信したそうだ。

さて、お腹もいっぱいになり、ここから荒立神社へ。荒立では、ワンちゃんの手配で宮司さんに祈祷頂くことになっていた。
ここのご祭神は猿田彦神さんとアメノウズメさんのご夫婦。導きと芸能の神様だそうで、芸能人や有名人で訪れる人も多いそうな。
そういえば、昨日の高森殿の杉に行く途中にも猿田彦さんの道祖神があったが、道祖神はこの夫婦を祀ったものだそうだ。
昨日の巨大な道祖神は荒立神社参拝の予告編だったか?

僕ら5人に加えて、幣立から合流した3名の方々が一緒に祈祷を受けることになっており、僕らが着くと、ご夫婦とそのお友達の3名が既にいらしていた。

着いてから祈祷まではしばらく時間があったので、神社裏の杉林に行ってみた。何だかとても清々しい。
ここで、ワンちゃんから「気」についてのレッスンがあった。
手のひらを空に向けるとワンちゃんが僕の手を触り、両手を近づけてみるように言った。実際に合わせるようにして近づけてみる。
かすかだけど、磁石が反発するみたいに左右の手の間に磁場ができてるのを感じて驚いた。
ワンちゃんは、これを応用して、宇宙からエネルギーをもらい、各地に「光の柱」を建てるのだという。
つい数日前までなら、「へぇー、マジっすか。(笑)」だったけど、もはや、「そうなんだ。えらいこっちゃ。」である。

さて、宮司さんの祈祷が始まる。
狭く古いお宮の中にはいつのものか年代が特定できないという、年季の入ったご祭神お二人の木像が鎮座している。みんながいるからいいが、一人では居座れないかもしれないと思わせるような生々しさを感じさせる木像。
ピンちゃんは、アメノウズメさんとご縁があるそうで、木造のウズメさんが顔を左右に振りながら僕らを見渡しているのが分かるそうだ。猿田彦さんも目だけ左右に動かして見ているという。ものすごい真顔でいう。
お昼食べた時も普通に会話する女性の印象だったから、妄想とも思えなかった。驚いた。
彼女の中でのウズメさんは、きゃぴきゃぴのギャルの印象なのだそうだ。面白い。

祈祷が終わり、おみくじを引くと大吉が出た。ついてる!
これからの旅の暗示であることを祈ろう。

ここで合流した3人とは別れ、元の5人ですぐさま秋元神社へ出発。車はワンちゃん号一台に。途中クネクネと山路を登る。
ワンちゃんは昔から車が好きで、よくドライブしていたそうだ。だから、こういう道も朝飯前。だいたい神社は山の中にあることが多いので車と運転技術は必須アイテム。
神様は、その人のお役目に必要な技術を人生の中で身につけるよう、うまいこと導いているわけか。

この頃には腰痛に加え、鈍い頭痛も始まっていた。

秋元神社は奥まったところにあり、階段や鳥居についた緑苔がとても印象的なお宮だった。小さな拝殿まで上がり、近くの湧き水を頂き、そばにある切り立った岩壁に祈りを捧げる。とても心地よい場所だ。
巨石や山を信仰の対象とする感覚を理解できた気がした。何だかとても安らぐ。

さて、ピンちゃん達の帰りの飛行機の時間が近づいているとのことで、急ぎ荒立神社へ戻る。
ここで、ピンちゃん、タツさんとはお別れ。また元の3人に戻る。

今日の参拝予定地は以上であったが、ワンちゃんが急に天岩戸神社に行こうと言う。何か降りて来たか?
もしや、岩戸開き?俺のか??

こちらのお宮は高千穂観光の目玉だけに、今日巡ったところとは全く雰囲気が違う。お店も多く、完全な観光地だ。なんなら天照大神の等身大?フィギュアまである。
到着するのとほぼ同時に雨が振り出した。

夕刻の神社は流石に参拝者が少ない。豪華な拝殿でお参りをすまし、天の安河原へ向かった。
夕暮れ時の天の安河原はちょっと不気味。小雨で更にその不気味さが増す。川辺の巨大な洞穴のようなところにお宮が立っているが、渓流の流れが響く薄暗いこの場所に立つと、黄泉の国にでも迷い込んだような錯覚に陥る。できれば一人では来たくない。谷底の河原から天岩戸神社脇の道路まで戻ってきて、この世に無事生還したと言わんばかりの安心感を覚えた。

この場所になぜくる必要があったのか、よくわからない。特に何も起こらなかったし、感じなかった。まあせいぜい安河原での不気味さぐらいか。ワンちゃんは何も教えてはくれなかったが、天の岩戸という象徴的な場所に来た意味が何かあるのだろう。

天岩戸神社は、神話の中で天照大神がお隠れになった岩戸のあった場所ということになっている。神話の内容は、、、
天照大神が岩戸の中に隠れると世界が暗闇に閉ざされた。神々たちは光を取り戻すべく天照大神に出て来てもらうための策を練る作戦会議を天の安河原で開く。その結果、岩戸の前で大宴会を開くこととなった。アメノウズメがストリップを踊ると、神様たちは大盛り上がり。その賑やかさを不審に思い天照大神が岩戸を少し開き覗き見る。その隙を逃さず、力持ちの天手力男神が岩戸を引き開け、天照大神を引っ張り出し、世界に光が戻った。と、本当はもっといろいろあるんだけど、まあ、ざっくりこんな話になっている。
ちなみに、天手力男神はその後岩戸を放り投げるが、投げた岩戸が落ちた場所が長野の戸隠だそうな。宮崎から長野までぶん投げるとは、ハンマー投げの室伏広治もびっくりだな。

実はこの天の岩戸の話は、世界の歴史を象徴しているという説がある。天照大神が隠れた世界は闇に包まれている。陰謀論が現実の話だとすれば、今はその天照大神が不在の世界。岩戸が開き世界が光に満たされるというのは、恐怖に基づくエゴや奪い合いから、愛に基づく許し合いと分かち合いへと世界が切り替わることの象徴という。つまり、岩戸開き=アセンション。

そういえば、神社から天の安河原へ向かう途中、何となく「母親との関係についてきちんと向き合わなくてはいけない気がしてるんです。」という話を僕が始めた。具体的な話は一切しなかったが、ワンちゃんが「こっちからお土産送るとか、帰ったら温泉にでも誘って話するとかしたらいいんじゃないですか。」と言った。具体的に話してない割にはヤケにわかったようなこというなぁと正直少しイラっとした。
すると、間髪空けずにコガネさんが「箱根神社!」と言った。「箱根には温泉もあるし、プリンスホテルでも泊まりながらゆっくりできるんじゃないですか。」また、これ、そんなに断定しないでよと思った。あとで聞くと、コガネさんはあの瞬間急に箱根が降りて来たという。
おっと、今書いていて急に思いついたが、俺の岩戸開きは母親との対峙ということか!?天の安河原が冥界との接点だとすれば、そこの主は伊邪那美、女性神だ。彼女は伊奘諾と別れ冥界に籠る。俺の中に閉じ込めた女性性と向き合い開放すると言う暗示か??母親の話が出て来たのは天岩戸神社参拝直後だったし、結果的に天の安河原で三人で作戦練った格好になってるし、シナリオとしては良くできている。
うおー、まじかぁ。こっちいる間に土地の名産品送って、東京帰ったら箱根プリンス泊りに行って、母とじっくり話すんだな、こりゃ。
実は、亡くなった父親が西武鉄道の株主だったので、それを相続した母には四半期ごとにプリンスホテルの優待券が届くのです。
今の今気づいた。よくできた話。参る。本当にそうなら神様凄すぎる。
そうか、天の岩戸に行ったからって、いきなり神の光が当たって、パンパかぱぁーん!おめでとうございます。岩戸が開きました!とはならんよね。
ここではヒントをもらうだけ。あくまでも物事を起こすのは人間でしたね。(^O^)

さてさて、とにかく、神社を出たあと宿へと帰る。途中のコンビニで軽く夕飯を買い込んだ。

コガネさんが明日の夜の飛行機で帰京するため、ワンちゃんは今晩中にコガネさんが購入するパワーストーンのブレスレットを作らなければならなかった。また、明日の昼はコガネさんが天草に行くことになっていて、コガネさんが何やら教会のイメージがあるからと言うので、僕のiPadで検索して訪れる教会の候補を探すことになった。
ということで、野わけのダイニングで夕食を取りながら、教会探し、あと、ワンちゃんはブレスレット作りをする。
あ、ちなみに、僕も天草に行くかどうか一応確認されたが、もちろん行きます、です。前の晩ここで天草土産の海老煎餅出て来たのはその予告編だったかと納得。

この時点ではっきりしたが、コガネさんも祈りを捧げにいろんな場所に行かれているらしい。随分とハードコアな一行に巻き込まれたもんだなとは思ったが、嫌な気はしなかった。むしろ、そうか今回は祈りの旅なんだなと思ったら何故か自分の中でもしっくり来た。
東京にいた時に、直感を頼りに日本各地を祈り歩いている人の本を読んだことがあって、こういう人たちがいることに抵抗感がなかった。知らないうちに準備させられていたことになる。
やはりここには呼ばれて来たのか?

ダイニングには祖母・母・娘の母子三代で遊びに来た野わけのおかみさんのお友達家族が食事されていた。
野わけのおかみさんは実は人形作りが趣味で、この母子一行のお母さんが粘土細工の人形を作られる方だそうだ。この人形作家のお母さん、年の頃は30代半ばといったところか。とても良く話される人で、言い方も直接的。でも憎めない天真爛漫な感じの可愛らしいお母さんだった。

野わけにお風呂はなく、近くの温泉に行くことになっているのだが、気がつくと時計は9時を回っており、温泉は10時で閉まるため、僕とコガネさんは温泉へと向かい、ダイニングを後にした。

温泉から戻ると、ワンちゃんが僕にくれると言っていたブレスレットが出来上がっていた。黄色くて小さな木玉が連なる数珠のようなブレスレットだ。
ワンちゃんの友達(確かRickyさんだったと思う)がインドはブッダガヤから持ち帰った菩提樹の落ち枝から作った木玉だそうだ。釈迦がこの木の下で悟りを得たという。畏れ多いことだが「持つべき人の手元に渡らなければなりません。これからブレることもあると思います。その時は、これを見ることで原点を思い出して下さい。」と言われ、感謝して受け取った。

ダイニングにはさっきの母子三代のご家族に加えて、50歳前後の男女が話をしていた。女性の方は見た目は完全な白人、ロシア系か?でも、日本で生まれた方なのか、完璧な日本語だった。
2012年の12月末に起こるというアセンションや宇宙人、地底都市の話など、僕も一度は興味を持ったオカルト系の話をしていた。
今まで何度か文明が興って来たが、毎回精神性が伴わず天変地異などで崩壊して来た。でも、今回は最後なので、もうみんな自動的にアセンションできることになってるという。聞いたことあるぞ。
旅に出る前は、そんなことが現実に起こるのか半信半疑だった。しかし、アセンションが一人一人の心の中から始まるということが真理だと認識した今、もはやこの手の話への興味は薄らいでいた。
彼らの現実離れした話を聞きながら、例の人形作りのお母さんが一番地に足のついた発言をしていて面白かったし、何だか嬉しかった。
「えー、でもそれって普通じゃない?」とか、「でも、で、だからそれでって思っちゃう。」とか。
スピリチュアルの知識はほぼゼロのこの人の発言が、僕には一番真理に近いように思えた。

今日一日の車の中で、ワンちゃんとはたくさんの会話をした。全部は思い出し切れないほど、本当にたくさん。
ときには、これまで僕なりに調べ考えて来た物事に対する意見を彼にぶつけ、彼の考えを聴く形だったり、ある時には、彼が神様から受けたメッセージを伝えてくれたり。

その中の会話の一つに、スピリチュアルの危うさについての話があった。
見えない世界の存在たちにも様々な霊格があり、特殊な霊能力を持った人間が彼らの「お告げ」を受ける時には、その霊能者の人格に合ったレベルの霊が降りているということである。そして、低い霊格のものが有名人の名を語ることも多いらしく「私はキリストの生まれ変わりだ」とか「私はブッダだ。」とか言う教祖は間違いなく怪しいという。
精神的な世界といえども、力を求めるものは多く存在するため、有名人の霊のふりをしてお付きの集団を得ようとしたりすることがあるという。得てして、高額のセミナーなどを主催する団体はこの類のようである。
力を求めるものには霊格の低い狐やらタヌキやらの憑き物が集まり、愛に生きるものには霊格の高い神が宿るのだそうな。
また、霊能者の中には、除霊と称して相手に霊を憑依させ、リピーター化して高額をかすめ取るケースもあるらしい。
霊格の高い神霊は、基本的に高額の金銭は要求しないようで、霊能者を頂点とする信仰集団を作ることもしない。いかなる意味でも「依存」に基づいた支配・被支配の関係は持ち込まないのである。心に依存癖のある人は、この手のインチキスピリチュアル集団に引っかかりやすいようだ。
結局のところ、やはり最後は、自分自身のエゴを見つめ、個人の心を磨く以外に真理に到達する方法はないということか。

丁度こんな話を聞いた夜だったので、ダイニングの男女は、ニセモノとはこういうことですよと神様がデモンストレーションしてくれたようにも見えた。
みんなの知らないミステリアスな話をして注目を集め、場のエネルギーをかっさらう。けっきょく彼らも力を求めている。ん?いかん、俺もついこの間までそれやってたぞ。反省反省。

また、もう一つ興味深く、かつ、嬉しい知らせだったのは、肉食は辞める必要はないという話だ。
健康志向、環境志向の人達の間では、歌手のマドンナもやっているというマクロビオティクスなど脱肉食の流れが強い。
しかし、そうなると、自然界の食物連鎖を否定しなければならなくなり、人間のみ特別な存在として考えなくてはならない。
また、肉はダメで野菜はイイというのは、野菜に対する差別だ。野菜にだって意識はある。動いているか止まっているかだけの差で、牛は食っていいけどイルカは食ってはいかんと言っているどこぞの環境テロ団体とたいして変わらないと。
詰まるところ、人間も自然の一部であり、自然の摂理には逆らえない。大切なのは、肉にしろ野菜にしろ、自然の恵み、育てた畜農家さんの労、料理された方への感謝の気持ちを持って食べるということで、食するもまた祈りである。
肉ばっか食うのも問題だけど、全く肉を食わないというのも逆の極端。結局バランスの問題。釈迦の悟りも「中庸」だったか。
僕の中では完全に納得。
良かった、これでアセンション後もチャーシュー麺が食える。(^^)

いやー、それにしても長く濃いぃ一日だった。見るもの、聞くもの、感じるものの全てが、今までと別次元から来ている感覚と言ったらいいか。左脳に入ってくる論理的な情報と、右脳に入ってくる感覚的な情報が共に洪水のように押し寄せて来て、頭がオーバーフローしている状態だった。

動き回り体は疲れていたが、脳が覚醒している感じがして、この夜はなかなか眠れず、朝になっても浅い眠りしか得られなかった。

大体、人生のターニングポイントって、後から振り返って気づくものかもしれないが、この日は僕の人生のターニングポイントであると既に言い切れる程衝撃的な日だった。