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[粒子線治療][陽子線治療][菱川良夫] 名誉センター長のこばなし ~がんから学ぶこと~

一般社団法人 メディポリス医学研究所
メディポリス国際陽子線治療センター 名誉センター長
菱川良夫による講演からの小話。

毎朝、指宿の海岸をウォーキングしていると、数年前と朝の風景が違うことに気がつかされます。



以前は、毎日のように綺麗な朝日を見ることができました。
しかし最近は時々しか見ることができません。

あれだけ綺麗に見えていた大隅半島も、最近では靄って見えない日が増えました。


ハワイが好きで毎年同じ時期に行っています。
今年は、以前と比べ蒸し暑く感じました。


一昔前の日本の梅雨は、「しとしと」といった感じでしたが、今ではゲリラ豪雨が日常茶飯事です。豪雨によって命が奪われたというニュースも増えています。


これらの変化は、大気汚染に代表される環境の悪化により、地球全体の気候が変動している為であると感じています。

国際的に「二酸化炭素の排出量を減らしましょう」といった運動をしていますが、実際は上手くいっておらず、その影響が自然の変化に出ているのかもしれません。

このまま、取り返しのつかない方向に自然変動が進むのは困りますね。


一個人として、これらの自然変動に抗うことは難しいかもしれません。
しかし、確実に変化している大きな流れを感じ、危機感を持つことは大切です。


こんな時こそKYYを実践してください。
(KYYについては、過去の小話をご参照ください)

第3回 KYY
http://ameblo.jp/ptrc/entry-10983177102.html

第40回 2011年度センター長方針
http://ameblo.jp/ptrc/entry-11237240714.html

第218回 続・KYY
http://ameblo.jp/ptrc/entry-12075215320.html
最近、ラジオ番組の収録やテレビ取材が続いています。
今日は九州の地方局の取材を受けました。

いつも取材を受ける時は、取材クルーと積極的に話をするようにしています。
今回のクルーはディレクター、レポーター、カメラマン、音声さんの4名でした。

先日の中国の局の取材では、10名を超える取材クルーで、役割がさっぱりわからない人もいましたが、日本の局の取材は最低限の人員で無駄がありません。

中国の取材についてはこちら

第252回 上海の放送局の取材
http://ameblo.jp/ptrc/entry-12160767362.html


以前にもご紹介したように、取材を受ける際の楽しみの一つは「逆取材」です。
今回も色々なことを質問させていただきました。

まず、カメラの値段。
これは毎回聞いているのですが、今回の取材カメラはデジタルカメラで、レンズも入れると1000万円を超えるそうです。重量も相当なもので、装備とともに肩に担いでいました。


「池のそばで取材中に池に転げ落ちたらどうするの?」と聞くと、

カメラマンは、「池の中でもカメラだけは池の外に出るように頑張って持ち上げます」と笑顔で返答して下さいました。
プロのカメラマンは、仕事の際には命の次にカメラを大事にしているようです。

プロはどの職業も大変です。


また、「万が一、壊したらどうなるの?」と聞くと
「保険に入っているので大丈夫ですが、ものすごく怒られます」と笑顔でした。


私の部屋での取材後、治療室を案内し、回転ガントリー装置をご覧になっていただきました。どの取材でも、この回転ガントリーは必ず見ていただいています。

今回は、レポーターとともに、ガントリー室から治療室に移動する映像を撮影していただきました。移動をしながら色々な話をして、どのように精度の高い治療を行っているかを理解していただきました。

ガントリーの大きさ、治療へ取り組む姿勢、我々の目指すビジョンを聞いて、レポーターも大変驚いて下さいました。


テレビ取材を受けることで、こちらも他業種のプロの話を聞いて刺激を受けます。
これからも、幸せな医療を提供する陽子線治療のプロとして、精進して参ります。
「菱川先生長い間ご無沙汰しておりました。」という書き出しの手紙が届きました。
週刊誌に掲載された私の写真を見て懐かしく思い、手紙を出して下さったようです。

文面から私の元で陽子線治療を受けたようですが、何年も前のことで私も詳しいことを忘れており、兵庫県立粒子線医療センターに所属する後輩に電話をして確認しました。
それからカルテを調べてもらい、10年前に治療を受けていることを確認しました。


この患者さんは難治がんの手術をして数年後に、再発・転移が起こり、兵庫に相談に来られました。それが10年前のことです。
それからすぐに陽子線治療を行い、転移部分はうまく治療ができました。

それ以降、何度も再発・転移を繰り返し、この10年間で日本各地の病院で30回以上入退院し、臨床試験にも数回参加されたそうです。


最初にこの難治がんが見つかって16年。
10年前、最初の再発の時に私から言われた
「患者さんが希望するなら、可能な限りできる治療は何でもしてあげたい」
という言葉を支えに、今まで頑張ってきました。

と手紙に書いてあるのを見て、思わず感動しました。


私が何気なく言った言葉が、一人の患者さんの生きる希望になっていることを知って、本当に嬉しく感じました。

これからも、優しい言葉、温かい励ましの言葉を大切にしながら、治療に携わっていきたいと思っています。
最近になって、論文や様々な賞の審査員を頼まれることが多くなってきました。
昔は審査される立場だったので、審査される方々の気持ちはよくわかります。


今回審査を行ったのは、1次審査をパスした10を超えるプレゼンの審査です。

プレゼンに与えられた時間は約10分。
多くの学会発表では、発表時間に合わせて使用できるスライド枚数に制限があるのですが、今回の発表には制限がなく、中には40枚以上ものスライドを使用した発表もありました。

私の経験からは、10分で40枚のスライドを説明することは不可能です。
案の定、今回の発表者も上手に伝えることができていませんでした。


全体を通して、多くの発表者がプレゼン慣れしておらず、自分の考えをまとめ、伝えることができていない印象でした。

そのような発表者のために、講演終了後の審査コメントで、発表方法について審査事務局に次の事を提案しました。

(1)発表する画像枚数を制限する
(2)発表の目的、内容、結果と今後の展望を必ず説明する


自己を主張をしない日本人はプレゼンテーションが下手な国民だと言われています。

勿体ないことに、今回の審査でも、素晴らしい仕事を行なっているにもかかわらず、その素晴らしさを表現できていない発表者が多くいました。

日本人がこれから世界で活躍するためには、このプレゼンテーションをする力が必須です。
これらの力を鍛えるために、小中学校から発表する力を養う教育をしなければならないと感じました。
年に一度「いとこ会」と呼ばれる会を開いています。

いとこ会とは、1年に1度、全国各地から私のいとこが集まって、他愛のない話をしたり、この1年間の報告をしたり、余興(ジャズの歌、ハワイアンダンス、みんなで合唱)を楽しんだりする会です。


私の父には、3人の姉と、1人の兄がいました。5人兄弟です。
5人を生んだ偉大な祖母を、最長齢の80歳のいとこは、当時の連合軍最高司令官になぞらえ、マッカーサーと呼んでいました。

そのマッカーサーの命令は絶大で、5人の子供(我々いとこ達の親)にいつも仲良くするよう言っていたそうです。おかげで、5人の子供は仲良く育ちました。

それぞれの親も、マッカーサーの言葉を我々子供世代に伝えてきたこと、親同士の仲が良く、ことあるごとに集まっていたこともあり、自然といとこ同士も仲良くなりました。

私も含めて、いとこは17人。
今では、一番若いいとこ以外は還暦を過ぎています。
また残念ながら数人は、天国へと旅立って行きました。

いとこ会の高齢化も進み、最近はお互い物忘れが進んでいる気がします。


最近の会には、いとこの子供世代、孫世代も参加し、80代~幼児まで40名を超える参加者が集まり、いとこ会の枠を超えてきました。

年に一回、美味しいものを食べ、他愛のない話をし、若い世代を見ることで、高齢のいとこたちは元気になっています。