朝倉 勇の独りごと-4 2006.12.29(金)
テレビなしの暮らしを50日ほど体験しました。
なんと、快適なのですよ、それが。
気持が楽になり、時間が、空気が、やわらかくなったようです。
どこか、自分がほっとしている。家人も。
悪くないなあ、こういう日常。という気分がぼくを包んでいます。
どれほどぼくたちは、マスコミに追われているか
情報の時代に、新聞やテレビを拒否はできません。
しかし、テレビに「頼らない」暮らしをしてみると
人間は、どれほど解放されるものか。
それがつくづく会得されます。
その代わり、ラジオを適度に使うのです。
市民生活には、必要情報と不必要情報が入り交じっています。
どうでもよい方の、いわば無駄情報を省くと
暮らしはすっきりします。
情報肥満からスリムになろう
現代人は一般に、あらゆる情報を食べすぎて
情報肥満になっているのではないでしょうか。
つまり不健康な状態です。
バランスのとれた食材を摂り、適度の運動をせよ。
これは健康指導の一致した鉄則です。
つまり、動物の自然に帰れということでしょう。
それが、こと、情報という食事については
まったく守られていません。
おまけに自動車にたよって歩こうとしない。
頭とからだがおかしくなるのは当然の帰結でしょう?
見あげてごらん、昼も、夜も
へんに温暖な12月の陽の光。
じつに穏やかに世を照らし、雲を浮かべる空は青い。
小さな扇子の形をした黄色い銀杏の葉が
強い風に、滝のように舞い落ちていく。
ああ、なんてきれいな初冬の演出だろう。
そう。季節が空を渡っているのです。
すると、忘れかけていた感覚がぼくの中に甦ります。
独りでに銀杏の葉を拾っているのです。
どんな芸術家も表現できない、一枚ごとに形の違う葉っぱ。
どれもが一人一人。個性をもって8カ月の仕事を
枝の上で勤勉に果たしてきたのです。
立派だなあ、君たち。ぼくは思わずそう声をかけました。
仕事を終えた葉っぱたちは一人ずつ、枝を離れて
色彩の美の舞を舞いながら、地上に帰ろうとしています。
ぼくの手の上で、ひんやり冷たい銀杏の葉っぱたち。
さようなら、とぼくは自然に挨拶していました。
ごくろうさま、とも。
2007年に、お薦め。
皆さんも、一度テレビのコンセントを抜いて
しずかな暮らしを楽しまれてみてはいかがですか。
ぼくたちを縛り付けているマスコミから
自分を解放してみましょう。
思いがけない、おおくの発見や気づきがあって
きっとびっくりなさると思いますよ。
それから、改めてテレビとつき合うのです。
ぼくはテレビ視聴が激減しました。
朝倉 勇の独りごと-3 2006.12.16
「鵜が主体」。と鵜匠はいうのです。
鵜飼い40年余の鵜匠の一人が
こんな話をしていました。
鵜の育て方は、なにより鵜が主体。
自然が主体なんです。
人間主体じゃダメ。
こっちの勝手は通用しない。
そして、健康が第一。
毎朝、鵜に声を掛けながら羽を撫でてやる。
すると手の勘で鵜の体調も相手の気持もわかる。
鵜の方でも羽をさすられながら、
私の声を聞いて、私の体調がわかるんだろうね。
そして、気心が通じるんですよ。
鵜飼いは1300年も続いてきた。
自然が主体だったからだと思うよ。
これが、「教育基本法」じゃないかな
鵜が主体。相手が主体。自然が主体。
その自然のもつ秩序に添って対話していく。
相手を尊重して、相手のことを考えてつき合う。
それが、人と動物のコミュニケーションの要諦だ。
という話です。
これは、教育の極意ではないでしょうか。
人と人のコミュニケーションである教育。
鵜匠の言葉は、いちいち身にしみます。
なのに政府は、
タウンミーティングで「やらせ」までして
むりやり法律を成立させてしまった。
そして総理大臣は、
「やらせ」を行った自己責任と称して、
100万円を国庫に返納して済ませようとしています。
お金で、しかも、はした金で「処理」できる、
そんな簡単な問題ではないでしょう。
・「やらせ」質問15回
・一般参加者を装った発言依頼29回
・ 国から自治体への「動員依頼」71回
政府が行った「やらせ」事件は、
国民に対する犯罪ではないかと、ぼくは思う。
選挙民がしっかり目覚めていないと、
何をされるかわかったものではありません。
「美しくない国」にされそうな日本です。
市民が自覚しないと民主主義社会はできない。
その思いを深くしています。
朝倉 勇の独りごと 2 2006年11月29日
一石五鳥、自転車の時代へ
東京は年々自転車が増え、その分、危険も増しています。
自転車が舗道を走るからです。自転車は前からも、後ろからもやってくる。とくに怖いのは、スピードを上げてすり抜けて行く自転車。これは若い男女に多い。後ろからいきなりベルを鳴らして、歩行者すれすれに走り抜けていく乱暴な自転車もあります。まことに物騒な都市の現実です。
危険なのは歩行者だけではありません。子どもを乗せて幼稚園に通うお母さんの自転車を見るたびに、ヒヤヒヤしているのはぼくだけでしょうか。実は、ぼくの娘も自転車で幼稚園の送り迎えをしてきたのです。
しかし、この現実に対してあまり疑問も出ないし、議論や提案もありません。
自動車だけが、なぜ優遇されるのか
自転車を車道から閉め出したのは、自動車優先の行政意識でしょう。以前、自転車は今ほど多くなく、市民権が十分ではなかったのです。自動車の立場から見れば自転車は邪魔な存在に違いない。そこで、「舗道」に追いやられたのでしょう。歩行者こそ被害者です。自転車もまた、実は被害者なのです。
自動車優先社会の象徴は歩道橋だとぼくは思う。世界の文化的都市で、あの醜悪で歩行者泣かせの歩道橋のある街があるでしょうか。都市の景観からみてもとんでもない代物です。自動車を優先する文明社会のあり方を、根本から考え直す時期にきている、とぼくは思います。
なんと進んでいるオランダの道路システム
10年ほど前オランダの道路を見て感心しました。自転車が専用路を、スイスイ走っています。東京のように舗道ではい。自転車だけの専用路が整備されているのでした。
聞けばオランダでは、道路は4つの通路区分で成り立っているという。道路中央は公共交通の市電・バス専用路。その両側が自動車道。その両側が自転車専用路。その両側が舗道。という4点セット、それが道路というものなのです。
すべての通行タイプが共に分かち合い助け合っている。なんと進んだ都市交通の考えではありませんか。
人にも環境にもよく、
保険予算も軽減する自転車
自転車は、石油エネルギーを使わず、排出ガスを出しません。生活環境も自然環境も汚染しないのです。近距離移動は自転車で。という生活習慣が一般化すれば、自動車は今より減ります。エネルギー資源のない日本は、その分石油消費が減り、おかげで自然環境も生活環境も改善されるはずです。
さらにぼくは、こうも考えます。自転車は乗る人の健康を増進するだろうと。すると病気が減り、健康保険の利用も減るはずだと。するとどうなるか。市民自身が元気になり、企業や、政府の、健康保険料負担が減る! でしょう?
もし自転車専用道路ができたら、
こんな良いことがありますね。
1.道路交通の安全性を高める(歩行者の危険を除く)
2.交通渋滞を緩和し、イライラを軽減する
3.エネルギー資源の消費を減らす
4.自然環境を汚さない
5.市民の生活環境を汚染しない
6.自動車よりも駐車場スペースが少なくて済む
7.市民の経済的負担を軽減する
8.市民を健康にする
9.公的健康保険負担の予算を減らす
このように見てくると、市民生活に自転車を活用することが、都市設計の重要なテーマであることに気づきます。人と自転車、人と自動車、人と市電、人と地下鉄などの「ともいき」時代をぼくは夢みるのですが。
朝倉 勇の独りごと-1 11月17日
これから「独りごと」の手紙を書こうと思います。つぶやきかもしれません。きょうは最初なので自己紹介を。ちょっと長くなりそうですが、お許しください。
ぼくはコピーライターです。企業からの依頼で広告表現を考え、その文案を書く。それがコピーライター。注文に応じて書く仕事です。職業として成り立ちます。広告の賞もいろいろいただきました。
詩も書いてきました。これは自発的な仕事。何冊か、詩集もつくりました。こっちは、お金になりません。職業ではないのです。
あ、そうそう。ここに出ているぼくの似顔絵は、1995年に和田誠さんが描いてくださったもの。「東京イラストレーターズ ソサエティ」の企画展をお手伝いした折りに、数人のイラストレーターがお礼にとぼくの似顔絵を描いてくれました。その中の一点です。お気に入りなので居間に掛けてあります。
和田誠さんとは1960年以来のお付き合い(同じ会社に在籍)です。少し前、『田園スケッチ』というぼくの詩集の装幀をおねがいしたら、数点のエッチングで本の中の装画まで描いてくれました。おかげで、その詩集は3000部も売れ、初めて詩で印税というものを手にして驚きました。和田さんのイラストレーション、なんてうまいんだろうと、いつも本気で感心してしまいます。そして・・・
HAND IN HANDって聞いたこと、ありますか。
ぼくはいま、PLANT A TREE PLANT LOVE
というNPOに参加しています。「人と人、人と自然のコミュニケーション」をコンセプトにしているNPOです。主な活動の一つが“
HAND IN HAND
”。「アジアの子どもたちの秋の植樹祭」
です。そのポスターをつくるとき、今度は山下勇三さんにシンボルになる絵を描いてもらいました。山下さんはキューピー・ドレッシングの広告やパッケージ・デザインで著名なイラストレーター。多摩美術大学で和田さんの1年後輩で、1960年ライトパブリシティという制作会社にぼくと同期で入社しました。和田さんは前年からライトの社員でした。
その後、山下勇三さんにはHAND IN HANDのポスターとチラシに、すてきなイラストをたくさん描いてもらっています。
HAND IN HANDは「手に手をとって」という意味で、日本をよくしようという活動です。とくに都会の子どもたちに自然をとりもどそう、と呼びかけています。名前だけでも覚えて置いてくださいませんか。
いま、お気に入りの言葉は何ですか
ぼくは近ごろ「ともいき」
という言葉を気に入っているのです。「共生」ではなく「ともいき」。「ともいき」ってなんだと思いますか。
「ともいき」というのは、うちの理事長・勝田祥三が言いだした言葉です。世の中ではだれもが「共生」と口にする言葉。なんだか最近手アカにまみれ、本来の価値観を示せなくなってしまった、とぼくも感じていました。
そんな時、彼は「ともいき」といい直し、新しい意味を託しました。もう、3年になるでしょうか。
「ともいき」と聞いたとき、はっとしました。新鮮でした。まったく新しい言葉(価値観)に思えたのです。人が生きていく上で、とくに幸せを考える上でいちばん基本になる価値観・思想に思えたからです。そして、ことばとしても美しい。やわらかく豊かで、なにか胸にしみてくるような日本語。懐かしい感じがしませんか。これは、日本がいちばん自慢できる、ヒューマニティの生き方の指針と言える。と感じ、気に入っているのです。
理事長の考えでは「ともいき」とは、「人と共に生き、自然と共に生き、地域とともに生きる」ということです。正式には、冒頭に「先祖と共に生き、」がくるのですが。さらにぼくは欲張って、最後に「地球と共に生きる」を付け加えたいな、などと思っています。
「ともいき」のロゴマーク
ところで、「ともいき」のロゴをつくるとき、またまた友だちに助けてもらいました。ライトパブリシティの著名なアートディレクター細谷巌さんです。「ともいき」のホームページをご覧ください。そこに、美しく、すてきな、独特のロゴマークが出ています。
ぼくはライトの社員だったころ、こんなメッセージを書いたことがあります。「美しいものは心に残る。心に残るものは強い。と私たちは信じます。ライトパブリシティ」というのです。つねによい表現を目指していた制作会社でしたから。
これは、ライトパブリシティが広告美術年鑑に載せる自社広告のために書いたフレーズで、そのときのシンプルで美しいデザインも細谷巌さんでした。細谷さんとはサッポロビールやキヤノンカメラなどの仕事でチームを組みました。つねに鋭敏で、知的で、デリケートな創作を続ける、すてきな先輩です。
1971年、毎日新聞社が日本初の公共福祉の新聞広告「現代を見つめよう」を展開したとき、細谷さんはコピーライターにぼくを選んでくれました。ゴリラの顔を大写しにしたビジュアル表現に、ぼくは『さようなら、人類。』という見出しを付け、ゴリラから人類へのメッセージをコラムニストのように書きました。その新聞広告は当時たいへん評判になり、いまでもしばしば話題になります。
和田さんも、山下さんも、細谷さんも友情出演。お支払いなし。友だちは、なんとありがたいのでしょう。感謝の外ありません。
ざっとこれが、ぼくの自己紹介です。
折々に感じたことを
「ともいき」の考えが広まれば、世の中はもう少しはよくなると思うのです。いま起きている数々の悲しい事件、良くない出来事、組織的な悪事、利権などは、「ともいき」から遠く外れた「我欲」から起こっているのではないでしょうか。自分さえ得をすれば、という私利私欲です。これでは日本はよくなりません。
幸せな人間社会を、という願いと志をもって生きていくことを、もう日本も世界も気づいてよい時だと思います。
ぼくはこのNPOに参加して4年になりました。おおくの皆さんよりは少し長く生きたので、感じたあれこれを「独りごと」としてお話ししようという気持になりました。
皆さんは、この「ともいき」という考え方、どう思われますか。また、どんな言葉がお好きですか。
また、お便りします。
11月17日 朝倉 勇