朝倉 勇の独りごと—13 2007年7月16日
「幸福度」を図る調査、ご存知ですか。
「幸福度」調査、聞いたこと、ありますか。
あるのです。いえ、日本にはありません。
欧州連合(EU)です。
2006年12月に実施された市民の「幸福度」調べで
次のようなことがわかりました。
EU市民たちの、なんと87%が私は「幸福だ」
と答えているのです。87%ですよ!
国別に見た「幸福度」は次の通り
1位・デンマーク:97%
2位・オランダ: 95%
3位・フランス: 90%
4位・イタリア: 84%
5位・ドイツ: 82%
そして東欧のハンガリーは68%
ルーマニアが60%、最低はブルガリアの39%
という世論調査の結果が、ことし2月26日、
欧州委員会から発表になりました。
生活水準についての満足度は?
EU市民の83%が「満足している」です。
北欧と、ベネルックス3国では90%が満足。
チェコが82%、フランスはそれ以下の76%。
最低はブルガリアの31%という結果でした。
北欧は、環境保全でも世界の手本です。
「年金制度の将来」、の信頼調べでは
信頼している度合いは次の通り。
デンマーク: 74%
フィンランド:67%
フランス: 32%
ハンガリー: 29%
ドイツ: 25%
年金制度ではEU諸国の市民たちも不安を
抱えているのがわかります。
しかし、北欧はよい政治を行っていますね。
日本で「幸福度」を調べたらどうなるか
あなたはどういう数字が出ると思われますか。
ぼくは悲観的な感じがしています。
EU平均の87%には遠く及ばないだろう、と。
多分50%にも達しないだろう、と。
最近の日本の現実。年金制度をめぐる政府行政の
呆れかえった怠慢。一般市民への増税。
大企業は減税。教育の破壊。雇用の不公平。
軍事費の増大。海外派兵への危険性。
枚挙のない企業の不祥事、悪事のかずかず・・・。
とてもとても「幸福感」や将来への安心感など
感じさせないことばかりの国です。
「幸福度」を考えて、参議院選挙に投票
EU市民の意見を見ながら思うこと。
それは主権をもつ市民が、自分たちの意志を
選挙ごとに示してきた結果ではなかったか。
ということす。こんどの参議院選挙では
自分で「幸福度」を考えて、その意思表示として
一票を投じましょう。草の根の意志の表明が、
やがて、少しずつ日本を変えていくと思うのです。
いつまでも悪政をガマンする「国民」ではなく
政策を厳しく判断する「市民」の意識で投票する。
そこに、あしたの希望があると思います。
(EU調査は、『電通報』2007年3月19日号より)
朝倉 勇の独りごと―12 (その1) 2007年6月25日
希望と、生きるヒントを語る美術館
まったく新しい発想の美術館を体験しました。
期間限定で建て、展示した「ノマディック美術館」です。
ノマディックnomadicとは、
遊牧民の、という意味だそうです。なるほど
モンゴールのパオが発想のヒントでしょうか。
あるいはサーカスのテント小屋、移動する建物です。
東京お台場に3月11日から6月24日までオープン。
2つの、大きな価値観と提案
ひとつは美術展示のテーマと内容。それは
グレゴリー・コルベールgregory corbert という
カナダ人写真家(恐らくフランス系)の作品。
題は「ashes and snow」。
21世紀人類の生き方の根本課題「共に生きる」を、
見事な写真表現で問いかけていました。
◎
もうひとつの提案は、建築それ自体です。
設計は世界的に優れた建築家、坂 茂(ばん しげる)氏。
人間社会と環境調和、持続可能な節度ある資源活用を
提案しています。美術館の柱素材はボール紙の筒。
壁は古いコンテナー。製品を運ぶあの鉄製の箱です。
柱を軽く叩くと中は空洞なので、コーン・コーンと
渇いた空気の振動がひびきました。
コンテナーを並べ積み重ねた壁も、ボール紙の柱も
軽くて丈夫。施工も早くて安上がり。
分解のとき、コンクリートやガラスの廃材がでません。
従来の美術館建築の概念に新風を吹き込む発想です。
館内の壁面はスリランカの紙、植物の繊維が見え、
適度にシワのあるカーテン。和みを生んでいます。
動物が、大切なことを私たちに教えている
コルベールの写真は、動物と人間のあるべき姿を
静かに語り訴えていました。写真はいずれも
大型の和紙にプリントされ、色調もセピアで柔和。
見る人の五感に静かに、しかし深く語りかけます。
ひざまずいて本(詩歌か仏典か)を読む少年の前に
巨大な象が脚を折って坐っている。
象は少年が読む言葉に聞き入っているようです。
背景は地平線の広がり。空はうすい黄色。
大地と、空と、動物と、人間の、まったくの調和です。
それらは完全にひとつに溶け合い
崇高な雰囲気を広げて、ぼくたちを包みます。
観客はシーンとなって見つめ、あるいは
小声で連れのひとと語りあって進みます。
◎
川では小舟に若い女性が一人腕を水にひたして
ゆっくり静かに川の水をゆすっている。
チンパンジーかオランウータンか、類人猿が「一人」
それを静かに、というより慈愛の眼差しで
見つめている。女性は川の水をすくって
チンパンジーに近づけると、チンパンジーは
口を寄せてその水をおいしそうに飲むのです。
ああ、なんという信頼と愛と和みの関係でしょう!
もともと人間と動物は、こうした調和の関係に
あったのだと、コルベールは写真という実像で
示しているのだと思いました。
◎
さらに、7~8歳の男の子は自分の倍以上の大きさの
チーターと身を寄せ合って石の上にしゃがみ、静かに
眼を閉じている。まるで一人と一匹のお地蔵さまです。
チーターはどこか遠いところを見ています。
おそらく、永遠を見やっているのでしょう。
これが動物と人間の本当の関係だったのではないか
と、コルベールは問いかけてきます。
人間は、自然の一部であるということを
人間は自然の一部であり、このように自然である動物と
共に生きていた。理解とか調和とか環境とかを
もっともらしく論じる前に、共に生きるという基本を
五感で感じとること。そのことの大切さをコルベールは
コミュニケーションしようとしているのでしょう。
21世紀の生活現場で、このやわらかな共生を思い
語りあうこと。その価値観を広げていくこと。
これら写真のメッセージは人が自然と共に生きることの
姿を示しアピールしていると思いました。
◎
ぼくが所属するNPOでは、この価値観を『ともいき』と
表現して発信しています。「祖先と共に生き、人と共に生き、
自然と共に生き、地域と共に生きる」という認識です。
だから、特にぼくは共感を強くしたのかも知れません。
(その2に続く)
朝倉 勇の独りごと―12 (その2) 2007年6月25日
「サミット」冒頭では、8カ国の首脳は
これを見てから会議を始めてほしい
21世紀の人類が深く思いをいたすべきテーマを、
映像美で表現した画期的な哲学・瞑想のアピールです。
先進8カ国首脳会議「サミット」の冒頭では、
まずこの映像を8首脳がいっしょに見て、その後で
討議に入ってほしい。そういう感想を持ちました。
観客の中に、ほとんど男がいない!!
もうひとつの驚きは、観客の多くが女性だったこと。
土曜日なので、男性も観る気があればもっといたはず。
しかし、カップル以外に男の姿はほとんど見られません。
そのカップルの男性も、おそらく女性に従って観にきた
のでしょう。自発的な男性観客はごく稀なのです。
これはど、ういうことを意味しているのでしょうか。
男たちは何を考え、何に希望を見いだして生きているのか。
感受性豊かなのは女性であり、男たちの五感は衰え、
感じるべきことも感じられなくなっているのか。
どういうことに生き甲斐を感じているのか。
文化や人類のあしたに、男たちは無関心なのか。
この展覧会は、そのことも考えさせました。
協賛は時計会社、すばらしい社会貢献です
この展覧会の実現に協力しサポートしたのは
「ロレックス」という時計会社でした。
一企業にこれだけの志があり、これだけの
意志と実行力があるという現実。なんとすばらしく
立派な経営者のいる会社でしょう。
日本にも、人類の未来を考え、文化・芸術に
心を配り、よりよい地球社会の道筋に
貢献しようという会社はあるのでしょうか。
それを願うのは、無いものねだりでしょうか。
空前の好景気といわれる日本経済。
世界的企業も多いなかで、このように価値ある
コミュニケーション事業に共感し声援を送る。
そういう発想は日本企業には無いのでしょうか。
それは恐らく、男の観客が稀にしかいない
という現実と関係がありそうです。
朝倉 勇の独りごと−11 2007年6月.13日(水) あきらめない(あの笑顔を、もう一度)
あきらめない
(あの笑顔を、もう一度)
NHK-TV、朝の番組『生活ほっとモーニング』。
2007年6月13日(水)のテーマは
『あの笑顔を、もう一度。脳障害と闘う』でした。
◎
交通事故に巻き込まれ、脳に障害を受けた人びと。
どのようにして、植物状態から反応を示し、
人間らしい動きと表情を取り戻していくか。
その丹念な取材報告です。
無反応、無表情に見える重い症状の患者さんが、
介護する人の不断の呼びかけによって、
眼を動かし始めたり、指を動かすようになったり、
文字を指で示して気持や感情を表すようになったり。
ごくわずかかも知れない希望にすべてを賭け
あきらめない家族と介護のスタッフ。
その、限界とも思える辛抱づよい忍耐と
努力と愛とのエネルギーが報告されていました。
救う秘訣は、愛のコミュニケーション
この番組で示された最大のメッセージ、それは
人を回復に導くのは「愛のコミュニケーション」である。
ということでしょう。
応答を示さない状態の患者さんに向き合って、
まいにち、絶え間なく語りかけつづけること。
その言葉に気持をのせること。思いを伝えること。
さらに、からだで触れあって体温とともに
五感に言葉(メッセージ)を注ぎ込むこと。
加えて、専門医の指導による適切な治療。
その持続によって、患者さんはやがて反応し始める。
顔に表情が表れ、指を動かす、という人間としての
感情と意志を示し始める例が増えているのです。
人間という生き物は
あきらめない。希望を棄てない。愛と努力の継続。
それこそが、植物状態の患者さんを人間に再生させる。
ぼくは、この番組を見ながらそう感じました。
人間とは、コミュニケーションによって生きていく、
そういう生き物なのだということを示しています。
医師があきらめても、母はあきらめない
脳を電気で刺激する療法も行われ、実施200例で
現在まで大きな問題は起きていない由。
とくに若い患者さんに有望の治療法のようでした。
Mさんはこの治療法によって、杖を使わずに
歩けるようになり「100メートルを15秒で走りたい」
と、新たな意欲と目標を笑顔で話していましたが、
Mさんも交通事故の被害者。暴走車にはねられたのです。
クルマ社会がもたらす大きな問題です。
最初の病院では治療方法はないといわれたそうです。
この段階では、医師があきらめてしまった。
しかし、お母さんはあきらめませんでした。
脳の潜在的な力と、自然の偉大さ
脳の活性化は血液の流れによって促進されるという。
また人間の脳には余裕があり、ダメージを受けた箇所を
補う働きを発揮する。そして、血流を増やすことによって
回復に導く可能性が増すという専門医の解説。
人間のからだが生まれながらにもっている自然快復力。
そして、まだ未知である肉体の知恵と能力と可能性。
頼もしく、うれしい話ではありませんか。
◎
あきらめない。希望をすてない。愛と努力、その持続。
そして、基本は「人と人のコミュニケーション」。
人間社会の根源にまで思いを広げる番組でした。
朝倉 勇の独りごと--10 2007.05.17(木)
50歳を超えた皆さん、10年後の計画は?
寿命がのびたこの21世紀、人生最終ラウンドの
20年間の過ごし方、生き方を人はどう選ぶのでしょうか。
「団塊の世代」と呼ばれる60歳代初めの大勢の人が
ことし中に定年を迎えるという「07年問題」。
その方たちは、その後の20年をどのように過ごすのでしょう。
それを、60歳になってから考えるのでは遅すぎます。
50歳代に新しい人生デザインを設計し始めるべきでしょう。
「還暦」、再び生まれた年の干支に還るという人生の区切り。
それを機に、どのように区切りをつけるのか。
そこからの自分をどのように社会の中で価値づけていくのか。
定年を、自分らしい生き方を始める絶好のチャンスと
明るく考え、50代から準備を楽しみましょう。
会社のために働き生きてきたそれまでと違って
自分の生き方を自分で描き実行できることになるのですから。
人生は編集である。と、ぼくは考えます。
80年人生をどのように自分で配分していくのか。
それは、「編集」という知的な取組に似ていると思います。
その編集は、ほんとうは青春期から始まるはずです。
ぼくは20数年前からこのことを考え、
その生き方を「人生の編集」あるいは「編集的人生」と
名づけて、人にも話していました。
でも、当時1980年代後半は社会の価値観が現在とは異なり、
耳を傾ける人も反応もほとんどありませんでした。
自分の問題だと思う人は少なかったのでしょう。
高度成長が続き、それが巨大なバブルとなり、その泡が
はじけ飛んだ90年代を経て、人も社会もようやく
眼をさまし、自分らしい生き方を探るようになりました。
会社本意、会社依存、という生き方からの自立です。
人間は、人や社会に役立ちたいと思う生きもの。
せっかく、勤めを終えて自由の身になるのですから
それからの時間と、自分の知恵、知識、経験などを
世の中に活かすという価値観に切り替えてはいかがでしょう。
つまり、社会とのつながりかたを通して、人間としての
生き甲斐や喜びのある活動を考えるという生き方です。
人は、本質的に、世の中や人のために役立ちたいという願いや
動機を、DNAとして持っている生きものだと思います。
そして、そのことに気づくと、不思議なことに
新しいエネルギーや意欲が湧いてきます。知恵も出てきます。
例えば、「83歳の大学院生」という例があります。
玩具メーカー「タカラ」の創業者佐藤さんは
今年、山形大学大学院の理工学研究科に入学しました。
2500人の学生中で、もちろん最高年齢。
「ギネスブック」ものかも知れませんね。
「これまでの物づくりに加え、人づくりの学問体系も作れれば
最高の人生」という、志に根ざしているのでした。
立花 隆さんの発言、「社会人、大学を占拠せよ」。
評論家・立花 隆さんはこの4月から、立教大学の大学院
「21世紀社会デザイン研究科」の特任教授に就任されました。
この学科ができて5年、通算して約75%が社会人だといいます。
夕方からの授業なので勤務している人も学べるのです。
立花さんは、若者世代の知力・学力・常識力の甚だしい衰えを指摘し
21世紀の日本の展望が開けないと危惧しておいでです。
そこで、自発的に学ぼうという社会人を含む大学院生とともに
「21世紀社会デザイン」の理論構築を目指そうというわけです。
20世紀とは明らかに違う21世紀社会の枠組みの在り方を
デザイン(設計)しようと、学院生と取組始められたのです。
たまたま、ぼくの知人(50代)がこのゼミの学生となり、
生き生きした学びの喜びを聞かせてくれました。
「人生80年、会社から離れて、あなたは何をどう学ぶか」と
問いかける立花教授の一文(文芸春秋6月号)をお薦めします。
実践で価値を生み、社会に貢献する生き方もある
大学や大学院で学ぶだけが、選択の方法ではありません。
それまでに蓄積した知識や経験を、世の中のために活かす。
社会の価値につくり変えるという選択もあります。
例えばNPO。会社は利益中心の組織ですがNPOはちがいます。
非営利の法人です。ぼくはそのひとつに参加しています。
「よりよい社会のために」という理念に基づく、
自発的な市民たちの組織です。ぼくが属するNPOでいえば
基本コンセプトを「人と人、人と自然のコミュニケーション」におき、
幾つかの社会的活動を展開しています。ひとつはHAND IN HAND。
コンクリートと鉄とガラスの都会は、人間の五感を奪っています。
そこで「子どもたちに自然を取り戻そう」という活動です。
また、2年前から打ち出したのは『ともいき』という価値観。
インターネットテレビ局『ともいき』をつくり、高品質の映像番組を
無料で提供しています。物質文明に偏りすぎ、金儲け万能の
傾向がつよい現代社会は多くの問題を生みだしています。
その中でどのような考えを基に、人として、自然環境を考え、
社会と関わっていけばよいのか。頭だけで共生を考えるのではなく
コミュニケーションのある『ともいき』という生き方、価値観が、
21世紀社会に欠かせない基本であると考え呼びかけています。
ホームページへのアクセスも次第に増え、ひと月25万~30万通に。
まだまだ少ないのですが、外国からのアクセスも見られます。
人びとが地域に根ざし、ともに生きるという「和」の価値観を、
世界の市民が求め始めているからではないでしょうか。
『ともいき』の思考は、立花教授の「21世紀社会デザイン」のテーマと
合致するように、ぼくには思えるのです。
独特のホームページ、覗いてみてください。
問題は、自分がどのような生き方に深く充足するのか。
どのように生きることが喜びになるのか。
どのように社会と関わり、改善に役立てるのか。
その生き方を探すのが、定年問題の基本ではないでしょうか。
忙しく働く企業戦士たちが、いつかは、世の中にためになり、
子どもたちのためになり、地域のためにもなり、
自分と家族のためにもなる、という自分で納得できる生き方を探す。
その準備は、40代、50代から始まると思います。
◎ご参考までに私の所属するNPOのホームページをご案内します。
NPO PLANT A TREE PLANT LOVE:www.plantatree.gr.jp
インターネットテレビ『ともいき』:www.tomoiki.tv/
HAND IN HAND:www.plantatree.gr.jp/handinhand/index.html
朝倉 勇の独りごと---9 2007.04.16(月)
怒るべきときは、怒ろう。
不適切、実に3615回。ダントツに悪い東京電力
3月31日の朝日新聞一面に、異様な写真が載りました。
東京電力の幹部10人が、一斉に平身低頭して
不祥事を詫びているのです。
前列に4人、後列には見えるだけで6人。
右端は写真が断ち切られているので見えませんが
さらに3?4人ほどいる様子です。
一社の謝罪に10人以上の幹部が不正を認めて詫びている。
こんな光景、前代未聞ではないでしょうか。
よほど悪いことを行ったのに違いありません。
東京電力といえば世界最大の電力会社。
その大幹部は日銀の政策委員を勤めるほどの見識を持つ
(はずの)日本を代表する一流企業とされています。
いったい、その会社がどんな悪を働いたのか。
悪事の「一部」があらわになった
「全国12電力会社は30日、発電所におけるデータ改ざんや
トラブル隠しに関する調査報告書を経済産業省
原子力安全・保安院に提出し、不適切事例4518件を報告した。
うち原発関連は7社で97件あった。東京電力は
福島第一原発3号機(福島県)で78年に起きた制御棒脱落は
臨界事故に至っており、それを隠していたと断定。
同2号機で84年に起きた原子炉緊急停止も
隠していたと報告した」と、朝日新聞は3月31日、
件の写真とともに報じています。この時、はじめて
12電力会社の不正、欺瞞、データ改ざんなどが一挙に
公開されたのです。異常事態です。以下はその一覧。
発表された「不適切」事例の件数、合計4518件
電力会社 原子力 火力 水力 計
北海道 0 10 3 13
東 北 8 14 8 30
東 京 19 10 3586 3615
北 陸 4 8 9 21
中 部 14 15 11 40
関 西 8 27 25 60
中 国 29 34 17 80
四 国 0 0 9 9
九 州 0 6 599 605
沖 縄 - 11 - 11
日本原電 15 - - 15
電源開発 - 13 6 19
合 計 97 148 4273 4518
これが、私たち「美しい国」の実態です。
不適切合計4518件のうち、3615件は東京電力。
不適切の点でも、世界最大の電力会社かもしれません。
原子力に限れば19件、中国電力の29件に次いで2位。
25年間も、市民と国家を騙してきた東京電力
朝日新聞は次のように報告しています。
東電の「福島第一原発3号機の78年の事故は、運転員が
気づかず、臨界状態と判断できないまま7時間半も
放置した末に、記録を改ざん、事故を隠していた。
しかし、原子炉メーカーの東芝に残されていた手書きの
メモなどを分析した結果、臨界に達していたと断定した」。
運転員のお粗末・未熟に加えて、記録を改ざん。
とんでもない悪行ではないでしょうか。それだけではない。
「福島第一原発2号機では84年10月原子炉起動時に
緊急停止装置が働いたが、運転員が記録を改ざんして
国や地元に報告せず、原子炉等規制法違反の疑いがある」。
その後北陸電力で臨界事故、日本原電では気密試験で
国の検査をごまかすなどの問題が起きました。
「最初の福島第一原発3号機の臨界事故で情報が
共有されていれば、続発は防げた可能性がある」
と新聞は書いています。
改ざん手口の一部が、明らかになってきた
「警報機を外し・出力表示に上限・・・」
と新聞は報じます。例えば東京電力では次の手口で。
「福島第一原発で77年から、検査時に警報装置を外す、
表示器のねじをいじって針の位置を動かす、
プログラムを変更する、といった改ざんがずっと
引き継がれてきた。これらの手法は、福島第二原発にも
波及し、02年まで改ざんがつづけられていた」。
中部電力での改ざんも呆れるほど念の入ったものです。
「圧力を表示する指示計で、配線をつなぎ変え、
警報の配線も外した。圧力に変化があっても
正常値が示され、警報も点灯しない状態にしていた」。
言語同断。
守るべき法令さえ守っていなかったのです。
ずさん、では済まない悪辣な企業姿勢ではありませんか。
改ざん釈明、計10時間。しかも、氷山の一角?
各社の改ざん釈明は延々10時間に及んだそうです。
しかし、どこまで「うみ」は出せたのか。
今後は、本気で責任ある経営をする気があるのか。
原発すべての安全を本当に確保していけるのか。
放射能洩れの事故は回避できるのか。
それが問題です。技術評論家は次のように言います。
「今回の各社の報告に対し、原子力問題に詳しい
技術評論家の櫻井きよし淳さんは『氷山の一角、せいぜい
全体の1割程度ではないか。国が検査の質を向上させ、
各社と適切な緊張関係を持つようにならなければ、
同じような問題がくり返されるだろう』と話した」。
と指摘しています。(以上3月31日朝日新聞)
ぼくもそう思います。まだまだ隠していることが
たくさんあるに違いありません。
企業は儲けるためにはデータ改ざんなど平気で行う、
そういう体質を内蔵しているらしいのです。
なのに、市民は平然とこの悪を眺めています。
日々の暮らしに疲れて、憤慨するエネルギーが
ないのでしょうか。憤慨と怒りのもって行き場が
見当たらないのかもしれません。
さらに新事実。東電、制御棒故障で偽装工作
4月7日、「福島第二原発で、東電、日立に依頼」と
朝日新聞が報じます。こんどは偽装工作です。
あれだけの幹部が首をそろえて謝って、
まだ1週間しか経っていないのにこのていたらく。
なにを、どう謝ったのか。頭だけ形として下げたのか。
「東京電力は6日、新たに福島第二原発4号機の
制御棒駆動装置で国の事前検査を受けず、
それを隠すために原子炉メーカーの日立製作所に
偽装を依頼した事実があったと発表した」。
ほら、出てきました。今度は偽装工作。しかも
メーカーを巻き込んでの悪事です。
北陸電力でも臨界事故では日立製作所に原因の解析を
こっそり依頼していたことが明らかになりました。
メーカーも偽装工作の片棒をかついでいたのです。
東電は「検査を受けなかった駆動装置2つは、
その後に安全性を確認したが、現在も必要だった
国の検査を受けないまま使われているという」。
国の検査もずいぶんいい加減ではないのかと
不信感は増すばかりです。
東電の会社案内を見てみよう
電力会社には社会的責任が欠落していることが
はっきりしました。では東電はどう考えているのか。
最新の「会社案内2007」を見てみましょう。
冒頭に「ごあいさつ」文。2人のトップ
取締役会長 田村慈美、取締役社長 勝俣恒久の二氏が
上等なスーツでにこやかに写っています。そして
「東京電力の最も重要な社会的責任は、現代の社会や
生活に欠かせない電気を安全に安定的にお届けすることです」
と述べています。その通りでしょう。でもちょっと待った。
「安全に」ですって? 本当ですか。嘘でしょう?
そして、「安定供給の確保をはじめとする企業の社会的責任
(CSR)を確実に果たしながら、激化する競争に
勝ち抜いていくことが現在の重要な経営課題です」。
「お客さまから選ばれ続けるためには、これら全ての
みなさまへの責任を着実に果たしながら、
信頼いただける会社となることが大前提となります」。
すべてその通り。いかにも美しい作文です。
しかし、それが解っていながら、なぜ25年間もの間、
改ざん、偽装、など不正を隠してきたのか。
さらに、情報を隠蔽し続けてきたのか。
「お客さまから選ばれ続けるためには」と口にしても
独占企業だから市民に選択の余地はありません。
いまのままでは到底信頼はできません。
会長と社長が「ごあいさつ」で述べている言葉、
「みなさまへの責任を着実に果たしながら
信頼いただける会社となることが大前提になります」。
これを毎日、朝礼で全社員で朗誦してはどうですか。
一方市民は、いまこそ会社の虚偽、嘘、悪を批判し、
社会的存在である企業の責任を追及すべきでしょう。
けれど連合など労働組合は抗議のデモひとつせず、
学生も若者も主婦たちも抗議集会を起こせない。
これが民主主義の社会でしょうか。
怒るべき時は怒らないと、市民社会は成り立たないと
ぼくは思うのですが。
朝倉 勇の独りごと―8
ごめんねが言えなくて
“ごめんね” ♪
こんな歌があります。
作詞、田中章義さん。作曲、小林亜星さんの新しい童謡。
NPO PLANT A TREE PLANT LOVEのホームページで
子どもたちがうたっているのです。
そう、ここで歌われている「ごめんね」。
ぼくたちはこの4文字が、なかなか素直に言えないのです。
ところが、最近の大人たちときたら謝ってばかりいる。
あれやこれや、不祥事・改ざんだらけの日本です。
その当事者や関係者がテレビ画面で、いとも簡単に
「申し訳ありませんでした」と頭を下げます。
またか、と市民は見飽きてしまう。やがて感覚麻痺。
この「謝罪の儀式」を済ませると、不祥事の当事者と
その企業、官庁、団体などは、
それこそ「禊(みそ)ぎ」は済んだとばかり、
すっかり安堵してしまうらしい。感覚麻痺。
マスコミが追求せず、市民も忘れるからです。
「東電改ざん、計200回」(朝日新聞 07年3月1日)
すこし前、ガス湯沸器で死者を出したリンナイとパロマが
糾弾されました。ところが、死者48人と
最多の犠牲者を出した松下電器はそのとき黙っていました。
なぜすぐに公表せずに、ずるずる延ばしていたのか。
国際的にも著名な一流企業? の、これがやり方でしょうか。
大企業の社会的犯罪はさらに続きます。
悪質なのは東京電力です。原子力発電所でデータの「改ざん」や
「不正」を、何度も何度もくり返していました。
「これで同社の原発での定期検査に絡むデータ改ざんは、
17基中13基で25件延べ200回にのぼった。」と
朝日新聞は報じています(2007年3月1日朝刊)。
なんと精神の悪い、独占事業を受け持つ企業の態度でしょう。
国家と市民社会に対する犯罪と言えないでしょうか。
日本は、市民がいない「村社会」?
まだまだあります。
日興コーディアル証券の不正決算。
(同社の顔になっていたイチロー選手は謝りましたか?)
名古屋市での大手ゼネコンの談合。
加えて中央官庁でも談合。大企業の社会悪が目立ちます。
みんなテレビカメラの前で「申し訳ありませんでした」と
頭を下げて幕を引こうとしています。
ジャーナリズムがそれ以上には深く追求しないからです。
大企業はすべてマスコミの広告主やスポンサーであるため
広告収入で経営を支えられている新聞社やテレビ局は
あまり追求したくないのでしょうか。
こうして「お詫び儀式」を許し、うやむやにしている社会。
日本から社会的な道徳観が日に日に薄れていきます。
美しい国どころか、健全な市民の姿が見えにくい。
社会悪に対して、それを許さないという五感も常識も
働かない日本の現実。市民が本気で目を醒まし、
不正は断固許さないという態度で手をつないだら、
大企業といえどもここまでの悪辣を平気で行えないでしょう。
日本の病根は、実は「市民」が一向に育たない
「村社会」にあるのではないでしょうか。
ああ、子どもたちのあの歌が、また聞こえてきます。
♪ あの時
ごめんねが言えなくて
“ごめんね” ♪
朝倉 勇の独りごと--7
2008年2月1日、全国一斉に禁煙になる!
と、いっても、これはフランスのこと。
今年の2月1日からはその先がけとして、
オフィスで全面禁煙となりました。
2月21日の朝日新聞は、
「パリの玄関 吸い殻の山」と題して
ビルの玄関脇でたばこを吸っている
パリの女性と男性の写真を掲載。
「仕事の合間の一服」とはいえ、
なんともいじましい依存症の姿です。
「パリジェンヌ」という形容詞が泣きます。
禁煙がもたらした、新しい問題
仕事をひと休みして屋外で一服する喫煙者が
吸い殻を舗道にポイ捨てしているらしい。
「オフィス禁煙に先立ちパリ市は、ビル玄関に
灰皿を設置するよう呼びかけたが、応じた企業は
ごく一部。業を煮やした市当局は、吸い殻1本あたり
38ユーロ(6千円)の罰金を科す行政命令を出す
準備をした」(沢村亙 特派員)というのです。
ところが市長は愛煙家なので、
「命令への署名をためらっているという」始末。
1本6千円の罰金とは、また思い切った金額です。
日本では到底考えもつかない発案でしょう。
しかし、フランスはそれほど禁煙との取組が
真剣だということです。すごい国ですね。
禁煙者と喫煙者の不平等も話題に
「一服のたびに外に出られると、週35時間制で
短い労働時間がますます減る」と企業からは
悲鳴が上がってもいるようです。また勤務中に
喫煙のために席を離れるのは「職場放棄」だと
処分の対象にした役所もある由。
たばこ嫌いのぼくは、たばことは
かくも厄介なものかと、恨めしくなります。
何にしても、たばこは大きな社会問題ですね。
たばこの危険、ご存知ですか?
たばこを吸わない人に比べて、喫煙者が
病気にかかる危険度はいずれも高い。
非喫煙者を1とすると喫煙者の危険率は
喉頭がん・・・・32.5
肺がん・・・・・・4.5
肝臓がん・・・・・3.1
動脈硬化・・・・・2.4
胃潰瘍・・・・・・1.9
(『「たばこ病」読本』渡辺文学著・緑風出版)
たばこの函には健康を害する恐れがあると
明記されています。そういう危険のある商品を
平気で製造販売させている国家、社会。
乳幼児に与える悪影響はかなりのものが
あるのではないでしょうか。
税金確保のためとはいえどこか狂っています。
たばこは「社会の迷惑」です
嫌な煙を吸わされる立場の苦痛を
愛煙家はもっと考えてほしいものです。
副流煙(たばこの先から立ち上る煙)には
つよい毒性があるといわれています。
喫煙者の吐き出す煙(主流煙)がpH5前後の
酸性であるのに対し、副流煙はpH9前後の
アルカリ性で刺激が強い。消しそこなって
灰皿でくすぶっているあの嫌な匂い。
目がチカチカしたり鼻が痛むのは
それが原因と渡辺氏は述べています。
それ以前にあの煙と匂いは耐え難いのです。
今回の全国・全面禁煙。
フランスは勇気のある国だなあと思います。
でも、今後どうなっていくのでしょう?
そして、EUの他の国の反応は?
(2007.02.22 朝倉 勇)
朝倉 勇の独りごと--6
いのちの声があふれるところ、公園
住まいの近くに、小さな公園があります。
そこ網代(あみしろ)公園は、午前中は赤ちゃんづれのお母さんが、
午後には、幼稚園児や小学生たちがやってきます。
まあ、彼らの声のにぎやかなこと。泣き声もまじります。
子どもの遊びに笑い声と泣き声は欠かせません。
多分、あれは、いのちの声に違いない。
ひびくのです。天に昇っていくようでもある。
笑い声も、泣き声も、生命感がみなぎっており
じつに心地よく聞こえます。
こんな無邪気な子どもたちを、日本という国と社会は
健やかに育てていけるのでしょうか。
ぼくも、たまにやってくる孫を遊ばせに
なんどかつれていったものでした。
そういえば、近ごろ彼らはわが家にやってこないなあ。
どんな遊びをしているんだろう。
その小さな公園に、メジロが一羽
ぼくは、その近くを通るときは、
なるべく、この公園を通るようにしています。
土の上を歩きたいからです。
土の感触を足で確かめると、なぜか地球の上に生きている
という感じがするのです。
わずかな面積ではあるけれど、
植物を育て、生きている土を踏んで歩きたい。
痛む膝の治療を終えて、網代公園をななめに歩いてくると、
おや、チラッと椿の木の枝に隠れた生きものが。
ぼくは立ち止まってそっと見つめました。
目のまわりに、くっきりと白い輪。一羽のメジロです。
ウグイスよりもきれいな黄緑色のからだ。
メジロもぼくを見ています。目があった!
じっとしていたメジロがちょっと首をかしげて
ぼくに挨拶するじゃありませんか。
ボンジュール、メジロくん。
まわりはコンクリートの建物ばかり。
椿の木は、公園のはじっこにたったの一本。
その木を、メジロはどうやって探し当てたのか。
椿の花の蜜を吸っています。
ふしぎだなあ。どういう力が働くんだろう。
ぼくは自然の調和する力に感じ入って
しばらくメジロの動きをながめていました。
だれも気づく人はいません。ああ、もったいない。
知性も、教養も、倫理もない大臣たちのふしぎ
メジロに出会っていい気分になったというのに
「女性は子供を産む機械」という大臣が現れました。
この国をメチャメチャにぶち壊しています。
与党議員たちは、女性を根底から侮辱したこの発言をかばい
「重要法案」をさっさと可決してしまいました。
総理大臣も大臣を責めないし、チルドレンはボスの言うなり。
ふしぎだなあ。
どういう感覚なのだろう。
これほどの女性蔑視・侮辱に対して女性が怒りません。
女性団体の抗議行動もないし、労働組合はデモをしない。
女子学生たちも知らん顔。男たちは金儲けにご多忙です。
一般市民もマスコミ報道を眺めているだけ。
作家、評論家、芸術家、漫画家、演劇人も発言しません。
ふしぎだなあ。
日本の社会では社会正義の感覚が、温暖化とともに
すっかり溶けて無くなってしまったのでしょうか。
もし、これがフランスだったらどうでしょう。
市民たちの街頭デモは大きなうねりになって盛りあがり
大臣は間違いなく辞任に追い込まれたでしょう。
それが市民の常識であり良識というものだとぼくは思います。
悪を許さないという市民の常識が働く社会が
健康な、大人の社会ではないかとぼくは思います。
つくづく、ふしぎな国ですね、この日本は。
朝倉 勇の独りごと-5 2007年1月22日(月)
そのまんま東氏と、26万6807人の宮崎県民
日本列島が、
談合列島・やらせ列島・捏造番組列島・法令無視列島・
人殺し列島・いじめ列島・・・と
どんどん、美しくない列島になっていく最中に、
ふしぎな名前の知事が、宮崎県民に選ばれました。
きのう、2007年1月21日(日)のこと。
26万6807人の宮崎県民が選んだのでした。
これから当分、この知事選挙は、
マスコミをにぎわすことになるでしょう。
マスコミにとって、またとない情報商品、
しかも、とびっきりの新製品が生まれたのですから。
県民の「常識」が勝った、と思う
「しがらみのなさ」を標榜した「そのまんま東」氏。
着眼点が県民感覚です。いや、常識的で、現実的です。
その常識が、県民の思いを的確にとらえました。
県民の常識とは、
「もっと正直で、まともな行政をしてくれよ」であったと思う。
だれにでも分かり、感じられる願いです。
そして、この求めは、実はこれからの時代の
もっとも重要な方向性であるように思われるのです。
なによりも県民との対話、コミュニケーションを根底に置く。
そして、県民と「ともに歩もう」「ともに私たちの県を創ろう」
という「ともに生きる」考えと姿勢だと思う。
それが、「しがらみのなさ」という言葉の
具体的な価値観であったのではないでしょうか。
「しがらみのなさ」を翻訳すると、市民主義になる
「しがらみのなさ」という価値観はこれからとても大切。
それは、市民が主体の考え方だからです。
公務員は公僕、市民に奉仕する職員という考え。
つまり、民主主義の基本なんですね。
だって、民主主義って、リンカーンが言ったように
「市民の、市民による、市民のための政治」でしょ。
ところが日本には、なかなか生まれなかった。
(公務員に公僕という自覚はどのくらいあるでしょうか)
マスコミは「無党派層」と
簡単にいうだろうけど、違うと思う。
既成政党が「しがらみだらけ」であるのを、市民は
感じています。でも、これまでは政党に投票してきた。
それに代わって市民の立場で語りかける
新しい「候補者」が出てこなかっし、
市民自身も古い意識や「しがらみ」に縛られていたと思う。
マスコミ社会に翻弄されて、現実をすなおに見、
冷静に判断する五感も薄れていたのでしょう。
その結果、相も変わらずの政党が「しがらみ利権」で
選ばれてきたのではないでしょうか。
「市民」を意識した人は、たんなる「無党派層」ではない。
と、ボクは思う。「市民派」ではないか。
新しい芽、可能性の芽を内包しているのではないか。
「そのまんま」初心を貫いてほしいもの。
しかし、果たして、県民は目覚めたのでしょうか。
前知事が汚職で逮捕された直後の、
一時的なムードで選んだのでしょうか。
このごろ強く思うことがあります。
それは、市民の目覚め以外に、社会も地域も国も
よくすることはできないということです。
そのまんま東氏がこれから先も「県民とともに」ありつづける
ことが出来るかどうか。それが問題です。そして
選んだ県民たちがどこまで知事とコミュニケーションを
続けられ、発展させられるか。それが問題だと思います。
味方は県民。「志」を選んだ26万6807人の宮崎県民。
あらゆる反対勢力が「しがらみ」の力を集めて、
新知事をからめ取ろうとするに違いありません。
しかし、新知事が初心の「志」を固く保って
「県民とともに」あろうとし、古い「しがらみ」と闘うならば
やがて県民はさらに目覚めて連帯し、数を増すでしょう。
その力が、環境も、教育も、医療も、ケアや介護も、
公共工事も変えていくに違いありません。
そして実は、企業も、です。(これがいちばんむずかしい。)
もし、宮崎県に変わる兆しが生まれれば、
日本にも、ようやく「市民社会」の時代が始まる、
と思うのですが・・・。