今、振り返れば、

家庭が人生の良き学校だったような気がする。

祖父母、両親、私と弟の6人家族。

尋常でなく激しい気性の祖母が仕切る独裁制で、

両親は給料を毎月献上させられていたそうだ。

 

みんなで食卓を囲んで楽しく話をしながら食事をしたことは

ついに一度もなかったが、

他の家庭を知らないので、それが普通だと思っていた。

祖母と父はある過去の出来事を巡って

激しく憎み合っていて、よく口汚く罵り合っていた。

祖父は寡黙でめったに口を利かず、

思い余って祖母をたしなめる時は

やはり怒鳴るしかなかった。

母は祖母から毎日理不尽ないじめを受け、

ひたすら耐えるだけの人だった。

 

何か問題が起きても、

家族で話し合って解決するなどという発想は皆無。

思い余って器物損壊事件なども珍しくなかった。

ただ、その頃は地域社会が機能していて、

すったもんだが近所に筒抜け。

近所の世話役のおじさんが駆けつけてくれたりして、

風通しはよく、深刻な事件は起こらないで済んだと思う。

 

特に、

祖母と父は映画の登場人物のような煩悩全開キャラで、

互いに自分はいつも正しく、間違っているのは相手だと

固く信じていたので、

死ぬまで問題が解決することはなかった。

 

おかげで、

どうしたら問題解決の方向に近づくことができるのか

について、学ぶことができた。

それには感情のコントロールが必要だということ。

つまり、

自分の間違い、弱さ、愚かさに気づくこと、

一面的な思い込みから自由になること、

広く深く多面的に物事を考えること。

その上で、相手の言葉に耳を傾けつつも、

言うべきことは言うこと。

後々長の年月をかけてこのように学んだ。

人間だから、もちろん、

いつもそんなふうに理想的にはいかないけれど。

 

当時、嫌悪を抱いていた家族に対しても、

今は心から感謝の気持ちが湧いてくる。

祖母のひと際愛情深い面も、

父の言葉には出ることのなかった優しさも

しかと受け止めて感謝している。

生真面目で不器用な祖父も、

忍耐強く家族を守ってくれた母も、

父を憎んで苦しんだ弟も、

みんな、みんな、それぞれ大変だった。

お疲れ様。 

いろいろすったもんだがあって、面白い家族だった。

亡き家族が懐かしい年齢になった。