「最近の若いモンはマッタク」
って文句言うけど、
親としてその若いモンを育ててきたのは?

「近頃世の中変わっちまって」
って愚痴るが、
その社会を作ってきたのは?

○十肩が痛くて
腕が上がらないトシになったけど、
自分のことを棚上げしない
ジジイになりたい。

この立場にいる
ワタシが云うのもナンなんですが、ね。
マウスピースは
サウンドの大まかな方向性を決める程度のものでしかないんだね。

あるサウンドを出すにあたっての
向き不向きはあるけど、
出る音は奏法次第。
クラッシック用とされてるものでも
暴れるように吹けば
そのニュアンスは一応出せる。
逆もまた然り。
もっと言えば腕次第。

まあ、
自分がやりたいと思う
ジャンルや演奏する曲は色々あるけど、
その指向性に即したマウスピースを選ぶ方が
フツーではあるよね。
クラッシック用は
そう吹くのが一番マットウな鳴り方をする
マウスピースな訳だから。
わざわざ
指向性が逆のものをチョイスして
苦労する必要はない。

ただ、
どんなジャンルでも曲でも、
音色やボリューム等のバリエーションが
一つで済むことは無い。
複数の曲をやる場合に限らず、
一曲の中でも、
出したい音色は幾つも存在する。
ダイナミクスやアーティキュレーションもそうだ。

だから、
奏法によって
欲しいサウンドを吹分ける事になる。
そして
それに適した
ユーティリティなマウスピースを探す訳だ。

○○向きとされるものの中から、
自分が指向するサウンドの範囲を
最大限カバー出来るタイプの、
更に言うと
自分がコントロール出来るレベルの
ひとしなを選ぶことになる。

で、
あとはさっきも書いた通り腕次第。
こんな吹き方をすると
このマウスピースのこんな部分が出せる
という吹き方をしっかり抑えて
欲しい音が出るように吹き分ける、
というのが
マウスピースを使いこなす腕だ。
自分で吹くとショボい音しか出せないのに、
借りてちょっと吹くと、
バリバリにやれる人がいて、
ガックシすることがあるけど、
腕が良いっていうのは
こういう人。
そもそも
色んなフレーズを
色んなサウンドで吹いてみたいから
楽器をやっている訳で、
その吹分けのために練習するのは当然だし、
それで腕を上げていくんだね。
モノによる違いは勿論あるんだろうけど、
大まかな括りが決まって
ひとたび道具を手にしたら、
あとは黙って修練しなくちゃならないんだね
という結論。

と、
また新しいマウスピースを買ってしまった後で思う。
自称ミステリファンで、
大抵の作品は楽しんで読むのだが、
受賞作品やヒット作にも
最近は「?」と思うものに遭うことも。
で、
こんなのを読んでみたhttp://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%8C%E3%81%B2%E3%81%A9%E3%81%84%EF%BC%81-%E5%B0%8F%E8%B0%B7%E9%87%8E%E6%95%A6/dp/486410414X

一言で言うと、
古今東西のミステリを読破された作者が、
ご自分の読まれてきたミステリや
その他の小説を、
ケチョンケチョンに貶している本、
です。

最近の私自分は、
SNSで映画や小説、音楽などの
感想を書く際に
「良かった」「好き」「面白い」といった
ポジティブな評価は書くけれど、
「ダメ」「つまらない」というような
ポジティブ評価は
出来るだけ書かないようにしている。

以前は
結構好き勝手書いていたけど、
「自分で一生懸命創作している人は、
他人の創作に
あれこれイチャモンつけている暇なんかない」
というコメントを見て、
なるほどと思って以来
控えている。
好きなものや面白いと思ったものを
褒めたりお勧めしたりはするが、
琴線に触れなかったものであれ
他人様が見るのを止める権限もないし、
自分の感性や知識にそれほど自信もないので。

しかし、
これだけ書きたい放題書いてるのを見ると、
やや鼻白むところもあると同時に
どこか溜飲の下がるところもありで、
微妙だ。

ということで、
この批評本について、
自分でも個人的な感想を
久し振りに書いてみようかという気になった次第。

以下、内容について少し。

余りネタバレにならない程度に。

日本のミステリ三大奇書への意見には
激しく同意。
「ドクラ・マグラ」は
あのアブノーマルさが好きだが、
「虚無への供物」は今一つピンと来ないし、
「黒死館」に至っては
何度読み返しても良さが分からない。
ペダンチズムを楽しむ質では無いんでしょうな。 

あと、
ベタ褒めしていた筒井康隆の「ロートレック荘事件」。
やや古いが
書評が高く気になってたのに未読だった作品。
どんなに凄いのかと期待して
今回トライしてみた。
結論としては、
帯で煽っているほど新鮮なトリックというほどではないが、
丁寧に書き込まれていて、
このカテゴリーの到達点のひとつとも言えるかと。
その意味では賛成。
ただ、
このカテゴリーにおけるオリジンとも呼べる
クリスティのスタンダード作品は罵倒している。
どちらも、
伏線の巧みさは高いレベルだと思うので、
その意味でやや一貫性に疑問。

この方の持論だが
「ミステリに限らず、
純文学や大衆小説でも、
面白いものは面白いし、
名作古典と呼ばれているものでも
面白いとは限らない。そ
もそも面白い小説自体が少ないんだ」
という主張には
頷けるところもあると思う。

ただ、
面白いかどうかは
「読んだ人がそれを好きと感じるかどうか?」
ということ、
つまり「好み」だと思う。
定性定量化出来るものではないし、
この人には最高に面白くても、
別の人には全くのクズということもある。

しかして、
この方の作品の論評を読み進めるほどに、
この方の「面白い」の基準は、
作家が美女であるとか、
作品内で女性がエッチするかどうかとか、
映像化された作品がどうだったかとか、
小説から離れた部分での評価が多く、
小説そのもののクオリティには無関係のように思う。

先程書いた通り、
面白いと思うかどうかは、
どこまで行ってもその人の個人的な好みだ。
だからそれは良い。
しかしそのくせ、
たまに「人間が描けてない」
とか
「リアリティに欠ける」
とか
文芸的表現を使って難癖をつけたりも。
ブレていると思うし、
ご自分の嗜好をここまで絶対視して
公に発表する意味はどこにあるか
甚だ疑問である。

そもそも、
この方は
「小説自体に未来がなく、
その面白さも評価していない」
と断言している。
こんな方なので、
評価の方向としてこうなるのは当然のところ。
そしてその意味でも
「この小説は面白くない」と断じている作品が、
「作品として良くない」という意味ではなく、
「小説だから良い訳がない」という
バイアスが掛かっている可能性を考えると、
その評価の信憑性は尚のこと疑わしい。

作品や作家について、
売らんがためで
カネを掛ければ売れるとする出版業界の内情は、
門外漢には伺い知れない。
確かにそういう側面もあるのかも知れない。
しかし、
作品や作家の評価は、
それこそ読者と時間が下すもの。
その時は売り出されてヒットしても、
連綿と読み継がれないものは、
作品や作家のクオリティがその程度ということだろう。
その意味で、
現段階でこの方がバッサリ切り捨てる必要もないのでは。
 
私は古今東西の小説を読み尽くしている訳ではない。
これからも新たな物語は生み出され続けるだろう。
そして、
面白い小説を読んだ時に、
自分の世界観がリセットされたり
リニューアルされたりするような感覚を覚える。
他の方はいざ知らず、
私が小説を読む楽しみはそこにこそある。
古典や新作、まだ出会っていない物語は無限だ。
私はこれからどんな小説に出会い、
どんな世界の扉を開くことが出来るか?
だから私はミステリも含めた小説の未来に
希望を捨てていない。
その点で
私はこの方と絶対的に相容れない。

最近のミステリに
やや面白みを感じなくなってきたのは、
やはりトリックや背景に対する知識が増えたこと、
つまりミステリに対する免疫が出来てきたことが原因だろう。
意見は色々あるだろうが、
ミステリの核がトリックにあるのは間違いない。
そして、
先達は「どうにか読者を騙してやろう」と
日々知恵を絞り続けてきた。
その結果、
現代に至るまでに、
様々なトリックが取り上げられ練り上げられてきた。
斬新なトリックがそう易々と次々に生み出せる筈もなく、
そうなると
新作を読んでも
「昔どこかで見たことのあるようなトリックの焼き直し」
と見えてしまうのは
仕方がないのかも知れない。
それでも、
これは!と目を見張るようなトリックに会うことも、
稀にだがある。
また、
トリック自体は完全に新しいものではなくても、
展開やキャラクターなどで
新しい味付けをしていくことで、
今までにない魅力のある作品になっているものも
あると思う。

「どんな本でも面白い」。
ある作品の主人公の台詞だ。
楽しもうとする気があるか。
理解する素質があるか。
それがあればどんな本でも楽しめる。
私はまだそのレベルには及ばないが、
その辺りが大切なのかも知れない。
それでも、
出来が悪いものはそうだと
断ずる眼力や信念も必要ではあろうな。