言語や文化に関することだけでなく、「実存的能力」などといって、人生一般に対する意識や態度を学習者の「能力」として評価し、査定する。さらにはその「能力」評価を自分でやれと学習者に押し付ける。これを権力と言わずして何と言おうか?

 

言葉を学びたいのに、どうして己の実存まで一回の言語教師や教育機関に査定されねばならんのか?

 

ところで、言語運用に関する評価例を見たが、実際に評価しているのは能力ではなく、行動傾向である。能力が評価できないわけではない。でも、今例示されたやり方で測れるのは、できるか、できないかよりも、したか、しなかったか。「能力」という概念が「行動傾向」という見えない覆いをまとっている。

なんでもかんでも「能力」「能力」っていう言葉を使って、訳のわからない概念が生まれ、実際と乖離したカテゴリーが生まれる。やめてくれ。