百万遍知恩寺 法然上人大遠忌
私の父が特別開帳におまいりしたいというので、
百万遍知恩寺に行ってきました。
法然上人は賀茂社の神宮寺に居をかまえ
念仏を説いておられ、《賀茂の禅坊》と呼ばれたのが前身だそうです。
一枚起請文(法然上人が入滅される直前に書かれた浄土宗の教え)を
託された源智上人が建立されました。
ちょうど震災で1年遅れとなった
法然上人800年遠忌の法要の最中でした。
読経が終わると、大念珠繰りが始まりました。
広い堂内いっぱいに、まわります。
この念珠めちゃくちゃでかいんです!
なかなかどうして、重いので肩がこってきます。
親玉と呼ばれる大きな珠がたぶん3個ありました。
阿弥陀如来さま、善導大師、法然上人。
ちょうど1周したあたりで終了。
こちらが阿弥陀如来さま(珠の中に小さな仏像が入っています。)
数珠の一個一個に奉納者のお名前があります。
そして父が何を拝見したかったのかというとこちら
弘法大師空海のご親筆と言われる利剣名号
字が剣のようにとがっていて、煩悩を断ち切るのだそうです。
左下に空海の手形が入っています。
この画像のみHPより
江戸後期にうちのご先祖さまがこのお寺で修行し、
修行を終えて戻るときに、この写しをいただいてまいりました。
それゆえ、父はオリジナルが見たかったようです。
(当時寺の住職は檀家から出していたようで、
実家は寺ではありません。)
読経を終えた僧侶たちが去ると
母がダッシュ!
何かと思うと一生懸命山ほど散華を拾っていました。
散華=花をまいて仏を供養すること。
この場合紙製の蓮華の花びら
私は2枚拾いました。
私が拾ったのは緑と赤の2枚
後醍醐天皇の勅命により、百万遍念仏をとなえ
疫病をおさめたことから、百万遍の号と
利剣名号を賜ったので、
散華には「後醍醐天皇 勅賜利剣名号謹写」
とあります。
次男が遠くの学校に行ってしまったことで、
父も
らしく、母の話によると
「卒業するころには、ワシは死んでいないかもしれない」
と言っているらしいです。
もう80歳だからそう思っても仕方ないけれど、
考え方とか、性向というのはやっぱり
遺伝なんですかね。。。。
末っ子は見た目も一番祖父に似ています。
百万遍知恩寺に行ってきました。
法然上人は賀茂社の神宮寺に居をかまえ
念仏を説いておられ、《賀茂の禅坊》と呼ばれたのが前身だそうです。
一枚起請文(法然上人が入滅される直前に書かれた浄土宗の教え)を
託された源智上人が建立されました。
ちょうど震災で1年遅れとなった
法然上人800年遠忌の法要の最中でした。
読経が終わると、大念珠繰りが始まりました。
広い堂内いっぱいに、まわります。
この念珠めちゃくちゃでかいんです!
なかなかどうして、重いので肩がこってきます。
親玉と呼ばれる大きな珠がたぶん3個ありました。
阿弥陀如来さま、善導大師、法然上人。
ちょうど1周したあたりで終了。
こちらが阿弥陀如来さま(珠の中に小さな仏像が入っています。)
数珠の一個一個に奉納者のお名前があります。
そして父が何を拝見したかったのかというとこちら
弘法大師空海のご親筆と言われる利剣名号
字が剣のようにとがっていて、煩悩を断ち切るのだそうです。
左下に空海の手形が入っています。
この画像のみHPより
江戸後期にうちのご先祖さまがこのお寺で修行し、
修行を終えて戻るときに、この写しをいただいてまいりました。
それゆえ、父はオリジナルが見たかったようです。
(当時寺の住職は檀家から出していたようで、
実家は寺ではありません。)
読経を終えた僧侶たちが去ると
母がダッシュ!
何かと思うと一生懸命山ほど散華を拾っていました。
散華=花をまいて仏を供養すること。
この場合紙製の蓮華の花びら
私は2枚拾いました。
私が拾ったのは緑と赤の2枚
後醍醐天皇の勅命により、百万遍念仏をとなえ
疫病をおさめたことから、百万遍の号と
利剣名号を賜ったので、
散華には「後醍醐天皇 勅賜利剣名号謹写」
とあります。
次男が遠くの学校に行ってしまったことで、
父も
らしく、母の話によると「卒業するころには、ワシは死んでいないかもしれない」
と言っているらしいです。
もう80歳だからそう思っても仕方ないけれど、
考え方とか、性向というのはやっぱり
遺伝なんですかね。。。。
末っ子は見た目も一番祖父に似ています。






















