大将軍八神社
昨日 一条通を走ったら
大将軍八神社は宵宮でした。
お昼間でまだあまり人がいませんでしたが、
お神輿があったのでのぞいてみました。
大将軍八神社は平安京造営の際、方除けにお祀りされた星神様です。
りっぱなお神輿もありました。
1832年曽我某作(うろおぼえ)
あら、こちらの小さいお神輿はずいきみこしじゃありませんか?
屋根のずいき以外のみかんやなすはプラでした。
これが予定表ですね!
私の興味をひいたのは、午後6時半 妖怪仮装行列!
でも結局行かなかったので、京都新聞の画像かりちゃいました。
女の子のおっかなびっくりの表情がいいですね。
古道具が妖怪になった付喪神が一条通を通ったといわれることから
一条通は妖怪ストリートで町おこしをしているんですね。
本祭りは今日で、午後1時に神輿が出発します。
大将軍八神社は宵宮でした。お昼間でまだあまり人がいませんでしたが、
お神輿があったのでのぞいてみました。
大将軍八神社は平安京造営の際、方除けにお祀りされた星神様です。
りっぱなお神輿もありました。
1832年曽我某作(うろおぼえ)
あら、こちらの小さいお神輿はずいきみこしじゃありませんか?
屋根のずいき以外のみかんやなすはプラでした。
これが予定表ですね!
私の興味をひいたのは、午後6時半 妖怪仮装行列!
でも結局行かなかったので、京都新聞の画像かりちゃいました。
女の子のおっかなびっくりの表情がいいですね。
古道具が妖怪になった付喪神が一条通を通ったといわれることから
一条通は妖怪ストリートで町おこしをしているんですね。
本祭りは今日で、午後1時に神輿が出発します。
御霊神社の句碑
10年ほど前 作家(故人)の秘書をしていた友人が
京都まで句碑を取材に来たついでに、訪ねてきてくれました。
取材対象の神社ではないけれど、
近くにある御霊神社の句碑もついでに見に行きました。
上御霊神社 南門
伏見城の遺構と伝えられる
広辞苑 編纂者 新村出氏の歌碑
ちはやぶる 神のみめぐみ深くして 八十ぢに満つる幸を得にけり
近くに新村出旧宅があり、新村文庫となっています。
よくお参りにこられていたようです。
松尾芭蕉句碑
俳聖松尾芭蕉は元禄3年(1690)に参詣「半日は神を友にや年忘」の句を奉納
ホントに芭蕉というひとはどこに行っても句碑がありますね。
松尾芭蕉 忍者説もうなづけます。
富士谷御杖
富士谷御杖は江戸時代の著名な国学者で(私は知りませんが。。。)
詩は本殿造営(文政年間)に際し、寄せられたもの
wikiをのぞいてみました。
『古事記』は、言霊の霊妙な力によって古代人の心を様々な説話として表現したものであるから、その記載されていることが実在する事実とする本居宣長 の解釈は不合理であると批判し、日本神話についての新しい解釈法を打ち出した
普段は素通りする、句碑や歌碑ですが、よく見ると発見があります。
お天気が悪かったので、かなり画像が暗いのですが、
いつもの本殿裏は光があふれているのです。
まだ青々とした紅葉も来月になると、紅葉するのでしょうね。
京都まで句碑を取材に来たついでに、訪ねてきてくれました。
取材対象の神社ではないけれど、
近くにある御霊神社の句碑もついでに見に行きました。
上御霊神社 南門
伏見城の遺構と伝えられる
広辞苑 編纂者 新村出氏の歌碑
ちはやぶる 神のみめぐみ深くして 八十ぢに満つる幸を得にけり
近くに新村出旧宅があり、新村文庫となっています。
よくお参りにこられていたようです。
松尾芭蕉句碑
俳聖松尾芭蕉は元禄3年(1690)に参詣「半日は神を友にや年忘」の句を奉納
ホントに芭蕉というひとはどこに行っても句碑がありますね。
松尾芭蕉 忍者説もうなづけます。
富士谷御杖
富士谷御杖は江戸時代の著名な国学者で(私は知りませんが。。。)
詩は本殿造営(文政年間)に際し、寄せられたもの
wikiをのぞいてみました。
『古事記』は、言霊の霊妙な力によって古代人の心を様々な説話として表現したものであるから、その記載されていることが実在する事実とする本居宣長 の解釈は不合理であると批判し、日本神話についての新しい解釈法を打ち出した
普段は素通りする、句碑や歌碑ですが、よく見ると発見があります。
お天気が悪かったので、かなり画像が暗いのですが、
いつもの本殿裏は光があふれているのです。
まだ青々とした紅葉も来月になると、紅葉するのでしょうね。
建勲神社
織田信長をお祀りした建勲神社は
(たけいさおじんじゃ、通称 けんくんじんじゃ)
平安京造営の際、北の基点となった船岡山の山腹にあります。
京都府最大の木造明神鳥居だそうです。
山腹にあるので、えっちらおっちら上ります。
神社にしては割と新しいのですが、
船岡山ってやっぱり磐坐いわくらなんじゃないかなと思います。
こういう岩があちこちに露出しています。
織田家の木瓜紋
前も思ったのだけど、やっぱりため水は洗う気になれない。
本殿
今日は織田信長公が上洛した日で、お祭りがあったので、
時間はもう遅かったのですが、通りがかったのでのぞいてみました。
全然人がいないし、祭の気配なし。
町内回覧では寄付の依頼がまわっていたのですけれどね。。。
7月1日のほうがにぎやかなお祭りのようです。
みなさんテントを撤収中でした。
正面に大文字山がきれいに見えています。
比叡山も。。。
末社のお稲荷さんがあったので、ついでにおまいりしてきました。
火縄の実演が見たかったのですが、
今年は《敦盛》の舞と太鼓の奉納で、
火縄はなかったようですね。
お祭の様子はまた他の方のブログを検索してみてみます。
今のところアップはないようですが。。。
(たけいさおじんじゃ、通称 けんくんじんじゃ)
平安京造営の際、北の基点となった船岡山の山腹にあります。
京都府最大の木造明神鳥居だそうです。
山腹にあるので、えっちらおっちら上ります。
神社にしては割と新しいのですが、
船岡山ってやっぱり磐坐いわくらなんじゃないかなと思います。
こういう岩があちこちに露出しています。
織田家の木瓜紋
前も思ったのだけど、やっぱりため水は洗う気になれない。
本殿
今日は織田信長公が上洛した日で、お祭りがあったので、
時間はもう遅かったのですが、通りがかったのでのぞいてみました。
全然人がいないし、祭の気配なし。
町内回覧では寄付の依頼がまわっていたのですけれどね。。。
7月1日のほうがにぎやかなお祭りのようです。
みなさんテントを撤収中でした。
正面に大文字山がきれいに見えています。
比叡山も。。。
末社のお稲荷さんがあったので、ついでにおまいりしてきました。
火縄の実演が見たかったのですが、
今年は《敦盛》の舞と太鼓の奉納で、
火縄はなかったようですね。
お祭の様子はまた他の方のブログを検索してみてみます。
今のところアップはないようですが。。。
下鴨神社 式年遷宮
下鴨神社では遷宮の準備が進められています。
遷宮とは、新しいお宮を造って大御神にお遷(うつ)りを願うことで、
式年とは定められた年を意味します。
伊勢神宮では20年後とだそうですが、
こちらでは神宮に敬意を払って21年ごとだそうです。
ただ本殿は国宝に指定されているので、
造りかえるわけにいかず、修理をもって遷宮とするそうです。
なぜ20年ごとなのかという説明が神宮のサイトで説明されています。
その理由はいろいろ推定されます。
まず20年というのは人生の一つの区切りとして考えられるでしょう。
また、技術を伝承するためにも合理的な年数とされています。
前回の遷宮の皇族方の祭粢料の立て札
20年たつとお亡くなりになった皇族方のお名前もあります。
本殿のまわりの石を3年間清めるそうです。
川の中の島にある古代祭祀場
真ん中の参道からは少し離れていますが、
東側の横道を散策されるとあります。
遷宮とは、新しいお宮を造って大御神にお遷(うつ)りを願うことで、
式年とは定められた年を意味します。
伊勢神宮では20年後とだそうですが、
こちらでは神宮に敬意を払って21年ごとだそうです。
ただ本殿は国宝に指定されているので、
造りかえるわけにいかず、修理をもって遷宮とするそうです。
なぜ20年ごとなのかという説明が神宮のサイトで説明されています。
その理由はいろいろ推定されます。
まず20年というのは人生の一つの区切りとして考えられるでしょう。
また、技術を伝承するためにも合理的な年数とされています。
前回の遷宮の皇族方の祭粢料の立て札
20年たつとお亡くなりになった皇族方のお名前もあります。
本殿のまわりの石を3年間清めるそうです。
川の中の島にある古代祭祀場
真ん中の参道からは少し離れていますが、
東側の横道を散策されるとあります。



