大徳寺本坊
今日起きてびっくり!
洛北の山々と比叡山が白くなっていました
双子が生まれた1997年の冬も前年12月1日に雪が降り
その年は大雪でした。
今年もそうなるのかな?
大徳寺本坊が12月2日まで公開していました。
本坊で修行したお坊さんが自分の小庵を構えたのが
塔頭の始まりです。
豊臣秀吉が織田信長の菩提寺 総見院を建ててからは
こぞって大名たちが菩提寺を建て、
今は22の塔頭が大徳寺にあります。
こちらが雪の日の三門 金毛閣
千利休切腹の原因になったといわれています。
この2層目に自分の坐像を置いたため、
秀吉の逆鱗に触れたとか。。。
本坊は写真が撮れないので、これだけ
看板にあるのは、狩野探幽の襖絵
複製が多くなる中で、こちらはオリジナルです。
(でも近づいては見られない。。。)
前は学生さんのガイドさんでしたが、
今回はベテランガイドさん。
学生さんはそれでよさはあるけれど、
やはりベテランガイドさんのお話のほうがおもしろいです。
へえって思ったのが、牛若丸の話。
弁慶と牛若丸が出会ったのは五条の橋の上
というのが有名ですが、
実は御所の橋
という説があるそうです。
こちら大徳寺の東南にある梶井門(開かずの門)です。
もともとこちらにあった梶井御所(現在の大原三千院)の門だそうです。
そしてこの前にある通りは旧大宮通りで鞍馬に向かう道。
牛若丸と弁慶がであったのはこの御所の橋だというのです。
牛若丸の誕生の地がすぐこの北側の牛若町。
(以前紹介しました。コチラ )
そして、この南側の民家には弁慶の腰掛石があるそうです。
なんとなく五条の橋より真実味を感じたのでした。
塔頭 正受院
庭師さんがはいられていて、はしごがあります。
ここは拝観謝絶ですが、どこの塔頭も大変よくお手入れされています。
まだ画像あるので、また追々。。。
洛北の山々と比叡山が白くなっていました

双子が生まれた1997年の冬も前年12月1日に雪が降り
その年は大雪でした。
今年もそうなるのかな?
大徳寺本坊が12月2日まで公開していました。
本坊で修行したお坊さんが自分の小庵を構えたのが
塔頭の始まりです。
豊臣秀吉が織田信長の菩提寺 総見院を建ててからは
こぞって大名たちが菩提寺を建て、
今は22の塔頭が大徳寺にあります。
こちらが雪の日の三門 金毛閣
千利休切腹の原因になったといわれています。
この2層目に自分の坐像を置いたため、
秀吉の逆鱗に触れたとか。。。
本坊は写真が撮れないので、これだけ
看板にあるのは、狩野探幽の襖絵
複製が多くなる中で、こちらはオリジナルです。
(でも近づいては見られない。。。)
前は学生さんのガイドさんでしたが、
今回はベテランガイドさん。
学生さんはそれでよさはあるけれど、
やはりベテランガイドさんのお話のほうがおもしろいです。
へえって思ったのが、牛若丸の話。
弁慶と牛若丸が出会ったのは五条の橋の上
というのが有名ですが、
実は御所の橋
という説があるそうです。
こちら大徳寺の東南にある梶井門(開かずの門)です。
もともとこちらにあった梶井御所(現在の大原三千院)の門だそうです。
そしてこの前にある通りは旧大宮通りで鞍馬に向かう道。
牛若丸と弁慶がであったのはこの御所の橋だというのです。
牛若丸の誕生の地がすぐこの北側の牛若町。
(以前紹介しました。コチラ )
そして、この南側の民家には弁慶の腰掛石があるそうです。
なんとなく五条の橋より真実味を感じたのでした。
塔頭 正受院
庭師さんがはいられていて、はしごがあります。
ここは拝観謝絶ですが、どこの塔頭も大変よくお手入れされています。
まだ画像あるので、また追々。。。
久々の出会い
紅葉も終盤の今日、某寺院に行きました。
この寺の住職夫人と親しい知人がいて、
「お寺の梅を収穫させてもらって、ジャム作った」
と、言っていたので、
このお寺の名を聞くたびにその人を思い出します。
そんなことを思いながら
お金を出そうとすると、受付の人が
「あ!」
と、小さく叫びました。
受付にいたのはその人でした。
「あら、Aさん!」
「ごめん、おたくの近く行くたびに思い出すンやけど、
名前が思い出せない!」
「くららです!え、うちに来はったことあったっけ?」
忘れかけていましたが、
1度来てもらったことがありました。
街中にある我が家を羨ましがっておられました。
Aさんのおたくは、京都市内でも猪が出るそうです。
お互い記憶があいまいながらも
久々にお会いできて嬉しかったです。
無料で拝観させてもらいました

ここも盛りは過ぎているようです。






