
重森三玲庭園のある西山家住宅④
引っ張りましたが、個人宅に作られた重森三玲庭園の青龍庭です。
個人の庭は代替わりすると、壊されてあまり残らないので貴重です。
国の名勝に指定されています。
第一印象は青石が使われている!
でした。
重森三玲という青石がまず思い浮かびますが、
この3年前に作られた春日大社の庭↓には青石が使われていませんでした。
この3年で青石をみつけたのでしょうか!?
重森三玲が東福寺庭園に続いて作庭した初期の作品です。
昭和15年
スケッチ
スケッチと比べると、わかりますが
離れからの視点を中心に作られています。
向月台
この石組、手前に橋
既視感があります。
大仙院そっくりではありませんか⁉️
教科書にも載る大徳寺大仙院枯山水
HPより
重森三玲の孫にあたる重森千青氏が
「三玲が一番影響を受けたのは、
大仙院の庭と、故郷にある豪渓」
と、おっしゃっていたのを思い出しました。
シマシマなのは守山石。
小川治兵衛もよく使っています。
渡り廊下からの眺め
アングルを変えて。
手前に船石も見えます。
洋館は当初独立した建物でした。
離れ入り口からのアプローチ
重森三玲といえばサツキの刈り込み
花の時期の写真を見ましたが、きれいでした。
四畳半茶室
「重森三玲の飛び石は背が高い」
と、重森千青氏はおっしゃっていましたが、
これはそうでもありませんね。
参考
重森三玲庭園美術館の飛び石
Facebook に西山家住宅を投稿したら、
結構豊中市民からのリアクションが大きくて
「市民だけど知らなかった」
「どうしたら見学できるのか」
と尋ねられました。
豊中市note より
明治43年(1910年)、小林一三らによって箕面有馬電気軌道(阪急電鉄宝塚線の前身)が梅田駅と宝塚駅間で開通します。開通して間もない頃から沿線の停車駅ごとに住宅地の開発分譲が始まり、明治43年(1910年)の池田室町住宅地、明治44年(1911年)の箕面桜井住宅地に続き、明治45年(1912年)に豊中市域で最初に開発分譲されたのが岡町住宅地です。
箕面有馬電気軌道による沿線の住宅地開発は大正期以降も引き続き行われ、路線の開発と住宅地などの開発を組み合わせる事業の進め方は、その後の全国の私鉄経営のモデルになりました。
大正元年(1912年)、大阪南堀江の金物商で支店長を務めた西山丑之助(にしやまうしのすけ)が家屋(現主屋)付きの土地を購入し、大阪市内から転居します。転居後、数年のうちに洋館を建て、昭和4年(1929年)には離れを新築。昭和15年(1940年)からは、既存の池庭の改造、離れと洋館の改修が行われ、新たに渡廊下も造られました。
この池庭改造により造られた枯山水庭園が「西山氏庭園」です。昭和を代表する庭園研究家であり作庭家でもある重森三玲(しげもりみれい)が設計図を描き、施工は京都の庭師・川崎順一郎(かわさきじゅんいちろう)が担当しました。
不定期に公開、見学会がありますので、
チラチラHPをご確認ください。
将来的には一般公開もされるそうです。
今回は玄関まわりなど他の庭が見られませんでしたが、
工事が終わるとみられるそうなので、
全体像を見るには少し待った方がいいかもしれません。














