真盛豆とかパン、そして空襲
京都のパンの消費量は高く、たくさんパン屋さんがあります。
晴明神社の近くで、パン屋で検索すると、たくさんヒットしましたが、
私の好みに合いそうなパン屋さんを目指します。
下長者町通です。
あ!このお菓子屋さん、聞いたことがある。
なんか名物があったけど、何か覚えていない。
真盛豆しんせいまめでした!
真盛というのは、坂本の西教寺の開山 真盛上人から由来します。
北野茶会で秀吉公も召し上がったそうです。
黒豆を核に、大豆粉をまぶし、
最後に青のりでコーティングしてあります。
封を開けると、青のりのいい匂い!
美味しくいただきました♪
こんな狭い道も車が行きます。
アカネベーカリーまだかな。
ありました。
私好みというのは、デニッシュ系が多いのと
キッシュも3種類ありました。
値段も抑えてあります。
アボガドタルティーヌ
スモークサーモンキャッシュ
そのすぐ北側は辰巳公園。
実は辰巳公園というのは西陣空襲のあった場所です。
京都は空襲がなかったように思われますが、
なかったわけではないのです。
被害が他の都市より軽微だったため
そんなふうにとらえられることを京都の人は嫌います。
そりゃそうですよね。
人が亡くなっているのに、なかったことにされたらたまりません。
太平洋戦争を知る世代がいなくなろうとしている今
伝えていくことが大事ですね。
碑文
昭和二十年(一九四五年)六月二十六日昼前、低い雲の上空に、敵機B29の爆音が近づき、突然
に轟然たる爆発音とともにすさまじい土煙が上がった。この時の被爆は上長者町通より南は下立
売通、東は大宮通、西は浄福寺通に至る方四百メートルの地域で、当時の報告には五十キロ爆弾
七発とも五発とも言われた。
報道管制のため、その状況は、多くの市民の知るところとならなかったが、西陣警察署の記録によると、
一、死傷者 即死 四十三人、 重傷 十三人、軽傷 五十三人、 計 百九人。 .
二、被害家屋 全壊 七十一戸、半壊 八十四戸、一部損壊 百三十七戸、計二百九十二戸。
三、罹災者 八百五十人。 .
であった。
ちなみにこの辰巳公園も被災地跡にできたものである。
第二次大戦(大東亜戦争)において京都市は非戦災都市と言われてきたが、東山区馬町と太秦の
三菱工場および当地域が爆撃をうけたものであり、当地域が最も大きな犠牲者を出したのである。
ここに戦後六十年を期して、この悲惨な空爆の事実を伝えるためこの碑を建立して後世への記録
と留める。
平成十七年八月 空爆被災を記録する碑の建立委員会







