3回忌でした。
父の三回忌の法要でした。
感染は拡大していますが、
コロナで49日も一周忌もできなかったのと、
「次の七回忌は私がいるかどうかわからない」
と、母が言うので、
身内10人ほどで、法要をしました。
兄夫婦と母、うちから3人、父のいとこ2人
母の甥姪(私のいとこ)2人。
私のいとこは、年が10歳以上年上で、
母が結婚する前は一緒に住んでいたので、
お互い気ごころが知れた仲です。
今では叔父叔母と同居って、ありえないですよね。
浜松で父の葬儀をしたときに、葬祭はいまだに地方色が濃いと感じたのですが、
関西では参列者(家族単位)の数だけお供えをして、
それを持って帰ってもらいます。
粗供養といいます。
私は永楽屋さんの一口椎茸の佃煮が好きで、
それを粗供養にしました。
これって西日本限定でしょうか???
会食は家族ごとのテーブル別。
いつも同じ顔合わせだから、話すこともあまりないよね。。。
こういう機会もコロナでどんどん減って、核家族はどんどん
小さな殻に閉じこもるようになる気がします。
父はリハビリ病院から退院して4か月足らずで亡くなりました。
介助してもらって、立ち上がるのがやっとだったので、
同居している兄夫婦と母の間で、施設に入る話がほぼ決まっていました。
本人の知らないところで。。。
退院がせまったとき、次男が見舞いに行き、
「今度会うときは退院しているから、おじいちゃんの家に会いに来てね。」
と、言われたそうです。
私は母にその話をし、もし施設に入ったら、
父は怒り狂うだろうと言いました。
母もその話を聞いて、兄夫婦に反対を押し切り、家に連れ帰る決心をしました。
介護サービスは1日に2回入りましたが、
それ以外22時間は母が世話をしました。
もちろん私も通いましたが、1日いるわけでもなく
「兄たちにも少し頼んだら?」
と言うと、
「私が連れて帰るといったから、私にも意地があります。」
って。。。
結局思いのほか父が早く亡くなったので、
兄たちも
「連れて帰ってよかったね。」
と、言いました。
母は
「あなた(私)が言ってくれたから、連れて帰ることができた」
と、言いましたが、
元はと言えば、次男の一言がきっかけで、
亡くなる前の日も次男が手を握ると、
言葉はもう出なかったけれど、手を握り返したそうです。
たまたまその時次男は大学を辞めて、次の大学の編入までの間
暇にしていたのですが、父との縁も深かったのだろうと思います。
やたらと活動時間が短いウニ丼。
これも次男がTwitterで引き取ってきました。


