大学生の生活と適応
息子の部活も今日活動中止の連絡があったそうです。
せっかく1年生が入部してきたのにね。。。
次男は東京の大学に昨年編入しましたが、
1度も通学したことがないまま1年がたとうとしています。
若者にとっての1年は本当に貴重ですよね。
秋になって、仕事先で大学1年生の学生と話をすることがありました。
前期は対面授業がなくて、郷里にいて、後期になってから京都に出てきたそうです。
東京の大学生のうちの息子はほぼ1年京都にいて、
住まない東京の下宿にお金を払い続けています。
大学の保護者向け冊子に心理学部の先生方の対談が載っていました。
そこからの抜粋です。
コロナで私達は変化への適応を余儀なくされました。
たとえばオンライン授業やテレワーク。
それに適応することを強制されたわけです。
それに適応できない学生たちがいます。
オンライン授業は情報の伝達手段としては問題なくても
情緒の交流には不向きです。
言語だけでなく、情緒的な交流をよりどころにしている人には
適応しづらいでしょう。
日常生活は一見無駄に見えるような情緒的なものを含めて
成り立っています。
デジタルによる合理化によって
私達は豊かな時間の積み重ねみたいなものを
失っているのではないかと感じています。
変わるマスクの意味
不登校の子供たちの中には以前から
日常的にマスクをしている子がいました。
これは自分を隠したいという心の表れでした。
私も卒業式の記念写真でもマスクのままの子がいて
違和感をちょっと感じました。
それをはずせと指導する先生が多々ありました。
現場の先生には生きづらさのサインと解釈されなかったのです。
コロナ以後マスクのおかげで、登校できるようになったという
報告もあります。
それは親がテレワークで家にいる時間が長くなったこともあります。
家族との濃密なかかわりから、エネルギーを得て
登校できるようになった事例は少なくありません。
ただそれは家族関係が良好という条件つきです。
家に居場所がない子どもは逆にストレスを感じてしまいます。
社会の変動は家族にも影響します。
マスクや胃薬、所持禁止の携帯電話を持つ子供たち。
ゲームに没頭する子供たち。
子供のくせに。。。と、
頭ごなしに指導せず、その理由を考えてほしいですね。
コロナ感染拡大が1日も早くおさまりますように。
