東山にある霊明神社 | 烏丸ママのブログ

東山にある霊明神社

昨日はハリネズミのことでコメントをたくさんいただきありがとうございました。
その中で羽黒宮司さんが酔っ払い?と、思えない
深いイイことを書いてくださり、いろいろ考えました。
逝く、行く、生く、

葬、祝、と書いて、どちらも「はふり」と読みますが、
生と死は表裏一体、というより、古代においては、それほど区別されてなかったんだと思います。

海外の宗教では、人と動植物が、死後、行く世界が違うっていうのがあたりまえですけど、日本は違いますよね。
すべては同じ、草木もすべて「神」で、我々も、いずれ、そこに同化する
 
今年は父も亡くなったのですが、
だんだん動けなくなって、食べられなくなって、飲めなくなって
自然に帰っていくのは人も動物も同じなんですね。
植物も含め、生き物はすべて神様から生まれたもので、
神様のもとに帰っていく。。。
地獄も極楽もない
神道の死生観について改めて考えました。
 
そして気になっていた神社に行ってきました。
建仁寺を通り抜け
 

東山安井から坂を上ると鳥居が見えます。
京都霊山護国神社の鳥居です。

左手には霊山観音が見えます。

1955年帝産グループの創立者が建立した戦没者の慰霊施設です。

京都霊山護国神社

こちらには坂本龍馬ら明治維新で亡くなった志士たちや

戦死者が祀られています。

墓地は入場ゲートにお金を入れたらお参りできます。

目的地はここではありません。

この神社が創建された1868年より前の1867年に

坂本龍馬は埋葬されています。

というのもその元になった神社があるからなのです。

護国神社よりさらに上に行くと

(これは護国神社の南側の鳥居)

その神社があります。

霊明神社

今の京都霊山護国神社の墓地はここの境内でした。

江戸時代に神式葬祭を始めたのがこの霊明神社で

坂本龍馬、龍馬とともに亡くなった中岡慎太郎と藤吉の

葬儀はここで行われました。

江戸時代には寺請制度のもと、皆どこかのお寺の檀家であり

葬儀は仏式でしたが、

そこに地下(下位の公家)で国学者の村上都愷が

正法寺から千坪の土地を買い、神式の葬祭を始めました。

表向きは時宗の葬儀でしたが、

1820年神祇管領吉田家の「神葬式許状」を得て

正式に神葬祭が認められました。

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幕末には志士の葬儀をとりおこない

境内には各藩の招魂社が建立されました。

明治になって上知令により、境内、墓地が国の招魂社となり

靖国神社をはじめ、各地の護国神社のルーツになりました。

 

ご祭神はそういった方々が祀られているのかと思いきや

その部分は分離独立したせいか

他の神社と同じような神様が祀られています。

天御中主命

熊野三柱大神

末社 猿田彦大神

徳川の仏式に対抗して、反徳川勢力は神式に傾倒していき、

国家神道の流れになっていくことがわかりました。


ところで皆様のところは
大雪大丈夫でしょうか?
京都も北の空の雪雲を見ていると、
明日は積もるかもしれません。