櫟谷七野神社
この間まで病院はガラガラでしたが、
歯科に行っても、整形に行っても、結構混んでいて
お年寄りが外出するようになりました。
それはそれで心配ですが。。。
私はテニスしないのに、テニス肘で
(おそらくパンを力まかせに、こねたのが原因)
無理な姿勢で土いじりをしていたら
腰痛になり、昨日今日おとなしくしていました。
櫟谷七野いちいだににななの神社と読みます。
ここが賀茂齋院跡と言われ、
数年前まで葵祭の斎王代は訪れておられました。
京都には野とつく地名が多いのですが、七野とは
もと船岡山麓一帯にあった原野で、
紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野のこと。(HPより)
だそうです。
社伝によれば平安時代55代文徳天皇(850年)皇后藤原明子ご懐妊の際、
その安産お祈りのため、産殿の西方に大和国三笠山から春日の大神をお迎えして祈願したところ、
儲君・後の清和天皇をご御平産になったと伝えられる。
賀茂齋院跡というからには、賀茂大神が祀られているのだと思っていましたが、
春日大神なんですね。
それで神鹿
その後ろの石垣は、秀吉が各大名に寄付させた石で
家紋などが刻まれているそうです。
ここは紫野齋院の跡らしいのですが、
今紫野とつく地名はもっと北なのでちょっと意外
齋院というのは、平安時代から鎌倉時代にかけて
伊勢神宮や賀茂社(上賀茂、下鴨神社)に仕えた皇女のこと(またはその御所)。
神社の格としてはもちろん伊勢神宮の方が上でしょうが、
仕えた皇女は賀茂社の齋院のほうが身分が上だったようです。
伊勢は遠いですからね。。。
あら、杭迫伯樹先生の書。
ユニクロのTシャツにも書かれている有名な書家です。
社殿からもわかる通り、今はそれほど大きい神社ではありません。
このあたり山名宗全の邸宅跡にも近く
応仁の乱のときに荒廃してしまったようです。
社殿の左の方、台の上に白砂で小さい山が築かれていました。
高砂山というそうです。
59代宇多天皇(894年)の皇后が離れてしまった天皇の愛を
取り戻したいと、祈願したことから、
恋愛成就、浮気封じ、復縁の祈願をするものだそうです。
悪縁を切って、良縁を結ぶ。。。安井金毘羅にもありましたね。
あのお札の岩も苦手ですが、この白砂も同じマイナスのオーラを感じ
写真には撮りませんでした。
この日はたまたま北野天満宮を目指して🚲で通りかかったのですが
同じく参拝されていた方から声をかけられて
「今日は酉の日だから、参拝に来ました。
これから下鴨、上賀茂まで参ります。」とおっしゃいました。
明治の初めまでは、旧暦4月の酉の日に賀茂祭は行われていたのです。
その日にお参りできたのも何かのご縁ですね。



