縮景園 in 広島
ちょっと飛びましたが、広島の続きです。
広島城の東側に縮景園という大名庭園があります。
江戸時代の大名は国元や江戸屋敷に
茶室のある広大な庭を作る風潮があったそうです。
広島浅野藩初代藩主浅野 長晟 は入国後すぐ築成にとりかかりました。
(最初は福島正則が広島藩主でしたが、
水害に伴い城の改修を行い、
武家諸法度に抵触したということで左遷されています。)
作庭者は千利休の流れをくむ上田主水正重安
泉水屋敷とあり、最初は御泉水と称したそうですが、
泉水で検索したら福井県のお庭にヒットします。
メジロがオカメ桜の蜜を吸っていました。
お茶室の前の松の木の姿がよかった。
跨虹橋ここきょう
七代目藩主のときに架けられたそうです。
その時代、時代で改造されて、
今の姿になったのですね。
とても気に入った縮景園ですが、
京都御所の洲浜に比べると結構アバウト
ピッチリしたところは
コンクリートで固められてました。
でもきれいです!
茅葺のあずまや悠々亭
なんとなくデジャブ感のある石造物が二つ
楊貴妃灯篭というそうです。
利休さんの墓石ににています。
借りてきた画像
こっちはあきらかにアレの写しですね。
おそらくオリジナルはこちら
大徳寺高桐院の細川忠興のお墓に使われている
利休さんからいただいた灯篭↓
豊臣秀吉にこの灯篭を所望された千利休は
わざと欠けさせて、疵物を差し上げられないと言ったそうな。。。
こんなそんな発見もあり、とても楽しかった縮景園ですが、
最後に見た一文でまたズーンと胸が痛みました。
この縮景園には被爆した人たちがたくさん逃げ込んできましたが、
手当を受けられずに多くの人が亡くなられ
埋葬されたのだそうです。。。
広島市内を歩くと、本当にたくさんのそういったお話があるのです。
それゆえ、広島市内の子供たちは平和教育を小さいときから受けています。










