目やみ地蔵(仲源寺) | 烏丸ママのブログ

目やみ地蔵(仲源寺)

四条南座の並びにある目やみ地蔵こと仲源寺ちゅうげんじ
眼病に御利益があると、信仰されています。
このあたりは鴨川のほとりで
もともと洪水を止めたというお地蔵さまです。
(雨やみがめやみに転じたという説も)
こちらも節分ということで、このような幕が張られていました。
最近視力の低下が著しいので、お参りしてきました。
中は縁起物のだるまさん授与がありましたが、
おねえさん、閑そうでした。
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扉が全開しているので、大きなお地蔵さまがよく見えました。

こんなに大きいお地蔵さんだと思いませんでした。

すごい存在感でした。

 

ところで、同年代の有賀さつきさんの早すぎる死、

びっくりしました。

お嬢さん15歳とか。。。

お父様も急な別れだったとおっしゃっていました。

私なら、いつなら自分の死を受け入れる事ができるだろう

と、考えました。

子どもが独立して、親を見送るまでは

生きていたいな。。。

と、思います。

有賀さん、

いろいろ心残りがあったでしょうね。

 

JAFの会報に宮本輝さんが書かれていたことも印象的です。

浪人時代、本ばかり読んでいて、

エミリー・ディキンソンの詩を知ったそうです。

私はほとんど忘れてしまいましたが、

Who am I?

What am I?

自我の目覚め。。。

と、学んだのを覚えています。

宮本輝さんは書きます。

「大金持ちになっても

札束を棺桶に入れて死ねるわけではないし、

社会的な成功と言ってもたかがしれている。

 

私はあるとき、お金は必要なだけあればいいし、

あるいは少し足りないという程度が

いちばんいいと気づいた。

。。。

社会的な成功などは時代の変化で

いつどう崩れるかわからないのだ。

ならば、生きるに値する行為とは何か。

持って死ねるものとは何か。

エミリ・ディキンソンの詩は

読む人にその究極の本質を明示している。

。。。

ひとりで苦しんでいる人がいる。

私のひとことで甦るかもしれない。

道に迷って正気を失った若者が倒れている。

私の差し伸べた手で立ち上がれるかもしれない。

それだけが、私の生きた証となるだろう。

幸せなことだと思う。」

以前カール・ベッカー先生の講演を聞いた時も

「社会で他人の役に立っている」ということが

生甲斐になる

という話があり、

人間は人の役に立つことで

自分の存在価値を見出すんですね。