勧修寺 | 烏丸ママのブログ

勧修寺

最後になりましたが、勧修寺の本編です。

山科にある勧修寺はかじゅうじと読みます。

山科に鷹狩に来た藤原高藤は

豪族宮道弥益の娘胤子との間に女子をもうけます。

(この一夜のロマンスは今昔物語にも描かれているそうです。)

その娘は宇多天皇の女御となり、醍醐天皇を生みます。

胤子はその子の幸せを願い、里屋敷を寺にします。

醍醐天皇は母の死後

藤原高藤の 諡号(しごう)をとって 、勧修寺としました。

南北朝以降皇族が門跡となる、門跡寺院となりましたが、

応仁文明の乱で堂宇は焼失、衰退しました。

霊元天皇の皇子が門跡として入ったことで再興され、

現在の堂宇はそのころのものです。

宸殿は明正天皇の旧殿を下賜されたもの。

明治時代には小学校として、使われていたそうです。

この引き戸の白いのは障子ではなく板。

胡粉が塗ってあるんでしょうね。

 

書院は後西天皇の旧殿を下賜されたもの。

 

この前にあるハイビャクシンはヒノキ科で樹齢750年とか。

うち(実家)にも同じのがあるんですが、

初めて名前を知りました。

この灯篭は水戸光圀公の寄進によるもので、

勧修寺型灯篭とよばれるそうです。

左右非対称ですね。

 

本堂は霊元天皇の仮内侍所を下賜されたものといわれています。

明正天皇、後西天皇、霊元天皇はともに、後水尾天皇の子で

明正天皇は徳川家の血を唯一引く天皇(女帝)です。

 

たくさんウルシの木があって、触るな危険とありました。

我々は見ただけではウルシとわかりません。

 

境内にはたくさん鳥がおりましたが、

山階鳥類研究所を創設した国際的な鳥類学者・山階芳麿博士は 

こちらの門跡を江戸後期に勤めた山階宮のご出身です。

近くには醍醐寺、隋心院などもありますので、

一緒にまわるのもいいかもしれません。