天龍寺塔頭弘源寺
長州藩は禁門の変の際
天龍寺に布陣し
京都御所へと向かいました。
筑前福岡藩を破り
会津、桑名藩兵と激突。
今も残る蛤御門の弾痕
そこに薩摩藩兵がかけつけ
来島又兵衛は戦死。
このあたりだそうです。
総崩れとなった長州藩士は天龍寺に逃げ込もうとしますが、
寺はそれを拒否、敗走兵は天王山方面へと散っていきます。
それを追ってきた残党狩りの薩摩藩は寺の備品や宝物を奪い
あろうことか、砲撃を始めて、天龍寺は炎上します。
そのため天龍寺の本坊は明治以降に建てられたものです。
天龍寺の塔頭の一つ弘源寺が公開中です。
看板の通り、長州藩の刀傷が残っています。
このお寺のみどころは
毘沙門天の御開帳
毘沙門天はインドの仏師が彫られたと言われています。
もとは比叡山の無動寺にあったものらしく、
踊っているように体をくねらせた珍しい毘沙門天です。
また竹内栖鳳一門による画がたくさんあります。
ここで静養していた栖鳳の御子息を慰めるため
弟子たちが画を描いたようです。
いかに栖鳳が弟子たちに慕われていたかを
物語っています。


